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連載平松洋子の「この味」

平松 洋子
2017/11/29

「クローゼットと冷蔵庫は似ている」なぜでしょう?――平松洋子の「この味」

©下田昌克

 クローゼットと冷蔵庫は似ている。

 なぜでしょう。

 答え

 どっちも、“中身が「ある」のに「ない」”と思うことがある。

 ハンガーに洋服があれこれぶら下がっているのに、「あー着るものがない」。正確には「いま着たいものが見つからない」のかもしれないが。「ある」のに「ない」のはなんでだ、首をひねりながら、けっきょくいつものセーターにまた手を伸ばしてしまう。なんとなく納得がいかない。うろんな目つきで洋服の群れを眺めていると、天の声のツッコミが入る。

(ここにあるのは、そもそもオマエが着たくて買ったものばかりだろう?)

 はぁ〜とため息がでる。

 つい二年前、三年前はあんなに着たくて買ったはずなのに、なぜか微妙に色褪せている(かもしれない)という驚愕の事実。いや、そんなはずはなかろう。落ち度があるのは洋服じゃない、ヤバいのはいろんな意味で自分自身のほうだと判明するときの自己嫌悪。がっくし膝をつく。

 冷蔵庫の件もおなじだ。

 冷蔵庫を開けて、べつにすっからかんでもないのに「わー何にもない」。正確には「いま食べたいものがない」のかもしれないが。扉を開けたまま冷蔵庫の前に立ちすくみ、なかば呆然とし、かなりあせり、四十五秒くらい過ぎてからようやく天の声が聞こえ、我に返る。

(卵と納豆とじゃこがあるんだから、じゃこ入り納豆オムレツを作ればいいだろう?)

 お説ごもっとも。

 塩蔵わかめもある、干涸らびかけているけれどチーズもある、真剣に探せば豆腐の味噌漬とか珍なる味も出てきそうだ。塩蔵わかめなら、水に浸してからざく切りにし、にんにく炒めにすればたちどころにごはんのおかずが一品できあがる……のそのそと気持ちを建て直しはじめると、「どうにかできるかも?」。前向きな気分が頭をもたげてくる。そうだよそうだよ、お宝の白菜キムチだってあるじゃないか。このあたりまでたどり着くと、現金なもので、「わー何もない」と、さっきビビったことは忘れかけている。

 まあ、もともとあまり中身の入っていない冷蔵庫だけれど、オマエがヤル気になればどうとでも応えてくれるのが冷蔵庫というものだろうわかってんのかオイ、と、ここでもやっぱり軽く自己嫌悪を味わうはめになります。

 理不尽だなと思う。あの根拠の薄い「ない→ある」感覚に、いつまでたっても慣れない。というか、自己嫌悪や反省の感情にいたるまでの思考回路はお定まりなのに、学習もなく同じ道をたどってしまうのはなぜだろう。いったん「ない」と自分を崖っぷちに立たせ、そののち「ある」と安心をゲットするのは、脳とか遺伝とか環境とか、いろんなチカラの産物なのだろうか。食べ物と洋服のあいだには、深遠なものが横たわっているのか……いまわたしが駆け込んで教えを請いたいのは、本誌連載「ツチヤの口車」の執筆者、土屋賢二先生だ(土屋先生、数年前、B誌編集者Yさんの結婚披露宴で同じテーブルに座らせていただいた者です。ご無沙汰いたしております)。

 もっと途方に暮れるのは、あるはずなのに、ないときだ。ちょうど今朝、熱々のオムレツを作ろうと台所に立ったら、卵が一個もない。あっ昨夜、残り五個ぜんぶ煮卵にしたのだった。ふがいない。