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西所 正道
2017/11/24

新3K職場を支えるフィリピン人 #2 看護編

――50年後の「ずばり東京」

 少子高齢化の波に晒されている日本で、労働力としてのフィリピン人に注目が集まっている。その代表格が「家事サポート」「看護」「介護」。奇しくも3職種とも頭文字が「K」だが、いずれも巷では3K(きつい、汚い、給料が安い)などと敬遠されることが多い。しかし母国を離れ、東京という大都会でこれらの仕事に打ち込むフィリピン人たちは少なくない。

 彼らは何を想い、働いているのだろう。それぞれの現場を歩いた。

新3K職場を支えるフィリピン人 #1 家事編から続く)

出典:『文藝春秋』2017年11月号

看護師は“ブランド品”

 メイドに次ぐフィリピンのお家芸は、意外にも「看護師」だという。

 移民研究が専門の千葉大学・小川玲子准教授は、「フィリピン人看護師は“国際ブランド品”のように、欧米、カナダ、オーストラリアなどで活躍しているんです」と説明する。

「フィリピンはアメリカの統治時代に、英語で看護教育が行われてきた歴史があって、最先端の看護教育を受けているという強いプライドを持っているんですよ」

 東京西部最大の町・八王子市。ここに外国人看護師を積極的に受け入れる病院がある。設立50年の歴史を持つ永生病院だ。同病院が受け入れを始めたのは、08年、日本政府が国家間の人・モノ・金・情報の動きを活発化させるEPA(経済連携協定)の一環として外国人看護師“候補者”の受け入れを始めると、同病院でもすぐに受け入れを開始した。08年にはインドネシアから、09年にはフィリピンから、14年にはベトナムから続々と来日した。

 前述した「特区」の枠組みで来日した外国人家事労働者は何があっても3年で帰国しなければならないが、EPAは事情が異なる。国家試験にさえ合格すれば、日本で働き続けることができる。不合格ならば帰国。実力がすべてを左右するのだ。

 現在、永生病院に在籍する外国人看護師はインドネシア人2人、フィリピン人4人(いずれも候補者を含む)、ベトナム人2人である。その1人が、日本の看護師資格を持つボルボン・エクセルシス・ジョンさん(33)。通称「エクセル」。上背があって、爽やかな印象の男性だ。

 エクセルさんの故郷はミンダナオ島西部、パガディアン市。両親は地元の病院に勤務しており、父親は事務員、母親は看護師である。親の背中を見て、自然と看護師になった。地元の病院で3年間、救急外来や一般病棟などを担当したあと、イギリスで看護師として働こうと思ったが、フィリピン政府から「空きがない」と言われた。そのとき日本とフィリピンのEPAのことを知った。

 だが日本には行きたくなかった。父親から、第二次世界大戦の時に日本兵が恐ろしいことをしたと聞かされていたし、ヤクザが登場する日本映画もフィリピンで有名だった。

「だから怖い国だなって。それに言葉が通じない。でも叔父が日本で看護師が足りないのなら行きなさいと言うので決心しました」

 09年に来日。とても驚いた。

「みんな優しいし、笑顔も素敵だし礼儀正しい。来て良かったです」

 エクセルさんは1カ月の日本語研修を経た後に、永生病院に来た。しかし任される仕事は、おむつ交換や洗い物、ゴミの整理などケアスタッフとしての仕事ばかり。まだ“候補者”だからだ。正式に看護師として働くには日本語で、日本の国家試験を突破しなければならなかった。

「母国では看護師をしていましたから、最初はこういう仕事ばかりやらされてショックでした。でもやっているうちに、患者さんに喜ばれるし楽しくなってきました」

 国家試験突破に向けて猛勉強が始まった。午前の仕事が終わると、午後の3時間は国家試験対策の講習。試験直前は仕事は免除され、終日勉強だ。講師役はおもに永生病院で働く看護師たち。病院が一丸となってエクセルさんたちを応援した。