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神戸の老舗が挑む、とんかつソースのデータベース化って何?

オリバーソースに伝統と革新を聞く!

なぜ神戸でとんかつソース? 知られざるファミリー・ヒストリー

 しかしなぜ神戸のソース会社が東京の文化であるとんかつのソースなのか。

「実は、うちの母が東京の出身なんですよ。父と結婚する前、彼女の女学生時代である1940年ごろですね、東京にはとんかつを出す屋台もありました。女学生たちもそれを買って弁当に乗っけてもらっていたんです。そのころの弁当箱はアルミ製でしょう。梅干しの酸でフタに穴が空くんです。とんかつ買ってソースを塗ってもらっても、シャバシャバのソースだと穴があるから弁当箱を包んでる布が汚れます。ところがあるとき屋台のおっちゃんが、メリケン粉やらをまぜてドロっとしたソースにしたらしいんですね。このソースであれば布も汚れないし、なんだかおいしい、と。当時のお店で作るものは長持ちしないのでそのまま市販品にはできないのですが、しかしそのソースがすべての始まりだったわけです」

とんかつソースで大盛況

売れるのがうれしくって新製法をばらしちゃった

 ただ始まりはオリバーだったとしても、競合他社が黙ってみているはずがない。

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「この大繁盛は長くは続かなかったんです。なぜかというと、当時の社長である先々代の道満清があんまりにもとんかつソースが売れるのがうれしくて、コーンスターチを使用する新製法をみんなにばらしちゃったんです(笑)。既存の会社はうちの真似をして新しいソースを売り出すし、雨後の筍のように新しいソース会社もできて、あとは値下げ合戦。大変だったんですよ」

特約店に飾られていたカンバン

 驕れる者久しからずとは言うが、気前が良すぎても商売はうまくいかないものなのだ。オリバーソースはそれ以降、とんかつソースを主力商品としながら堅実に商売を続け、93年にはヒット商品となる「どろソース」も発売。しかし95年の阪神淡路大震災によって、本社・工場が半壊するなど大きな損害を受け、また亡くなられた従業員もいらっしゃったという。現在の場所に移ってきたのはそのすぐ後。

 いまの工場には最新の設備が整い、神戸港もすぐ近くだ。海外での販売も年々伸び続けているので、港が近いことは大きなメリットになったという。また震災時に焼け残ったソースを熟成させ、10年・15年・20年の節目の年に売り出した「オリバークライマックス」も話題になった。

オリバークライマックス20年仕込み