私はどうするか思案した。デポ食料が無くなった以上、もはや北極海を目指すなどと言っていられる状況ではなくなった。かといって村にもどることもできなかった。というのも村を出て最初に嵐を二発喰らった例のメーハン氷河だが、あの氷河の下り口は非常に分かりにくいのである。

引き返すのも簡単なことではなかった。

 メーハン氷河を下るための入口は地形的に非常にせまく、しかも両側をはるかに大きな別の氷河にはさまれているため、油断するとその大きな氷河に迷いこみやすい。私は過去二度、春の明るい時期にメーハン氷河を下ったが、いずれも非常に迷った。もしこの真っ暗闇の時期に村にもどろうとしたら、まず往路と同様、ツンドラと氷床の二次元平面空間をコンパスだけで突っ切らなければならない。しかも、往路ではどこかの時点でアウンナットの小屋にいたる長い谷に入り込めればよかったが、村にもどる場合はメーハン氷河のその極端にせまい下り口にピンポイントでたどり着かなければならないので、その難易度は往路に比べて5倍から10倍は高くなる。30倍ぐらいかもしれない。もし本当に闇の中を村にもどろうとすれば、まず間違いなく氷河の入口が見つからなくなる。そして入口がわからないということは現在位置がわからなくなるということだから、アウンナットの小屋にももどれないし、村にも行けない状態になる。要するに村にもどるという選択肢は氷河を越えた時点で事実上、封印されていたわけで、帰還するためには極夜が終わり明るくなるのを待つしかなかった。

氷河(往路)をのぼり始めて4日目の様子。復路の難易度は非常に高い ©角幡唯介

 極夜が明けるのは2月中旬以降である。今日の日付が1月10日で出発から36日目にはいっていた。村から持ってきた食料は2カ月分、途中で兎を仕留めるなどして多少は節約していたが、それでも残り1カ月分弱となっており、安全に村にもどるためには足りなかった。

このままでは犬が死んでしまう。

 だが私の食料よりも問題は犬の餌だった。イヌアフィシュアクにドッグフードのデポが大量にある予定だったので、私は犬の餌を40日分しか用意していなかったのだ。

 あらためて餌の残存量を調べると、どうやらこれまでけちけちして規定量ほど食べさせていなかったようで、食い延ばせばあと10日分ぐらいはありそうだった。これまで犬に元気がなかったのは極夜病などではなく、単に餌が足りなかったからかもしれない。それでも村にもどれるほどの量はのこっていなかった。

 このままでは犬が死ぬ。餓死する。野垂れ死ぬ。それを思うと急に胸が重苦しくなってきた。絶対にそれだけは避けなければならないと思った。

 いずれにしても食料が足りなかった。犬を死なせないためにも何か獲物を狩るしかない。この暗闇の中、一か八かで村にもどるよりは、どこかで獲物を見つけて食料を確保したほうが安全性は高い。そう判断した。しかし獲物といっても兎や狐の小物ではたかが知れている。少なくとも海豹以上、できれば白熊か麝香牛級の大物を獲るしかない。これらの大物獣を部外者が狩るのは違法だが、そのことはひとまず脇に置いておくことにした。もし大物の獲物が手にはいれば、私と犬の分をあわせても1カ月以上の食料となるだろうから、一発逆転、北極海は難しくても北上する旅を継続することができるかもしれない。なにしろ燃料だけは腐るほどあるのだ。