落ちついて考えると急に弱気になった。

 歩くと月の高度がだんだん高くなりさらに明るくなった。満月期の月が正中すると何でも見える気がする。麝香牛は黒くて丸くてもそもそ歩くので、春の明るい時期でも岩の塊と分別できないほど見分けがつきにくい。だが、それでもこの月があれば大丈夫だと思った。私は何度も月光でほのかに映えた海岸に目をやり、そこに見える岩影を麝香牛に見立てて、大丈夫だ、あれなら見えると自分に言い聞かせて歩いた。

 追いつめられたことで脳下垂体から大量のドーパミンが噴出して集中力が異様に高まり、わずか1時間でセプテンバー湖から流れる川(仮称・セプテンバー川)の河口近くの岬に到達した。

 だがそこで急に、それまでぶしゃーっと噴出していたドーパミンがぷしゅっ、ぷしゅっと切れたみたいにふと冷静になった。

 その場に立ち止まり、本当に行けるのか? と自問した。

 私は2014年にセプテンバー湖からセプテンバー川を下ったときのことを思い起こした。セプテンバー川は大きな丸石が河床全体にゴロゴロところがり、その上に軟雪がのっかったひどい川だった。進むたびに橇のランナーが石にひっかかり、あるいは横転し、わずか25キロを下るのに4日も要した。とても人間が橇を引いて歩くような場所ではなく、絶対にもうこの川は二度とルートに使わないとかたく誓ったほどだ。でもイヌアフィシュアクからセプテンバー湖に行くにはこの川を遡らなければならないのだ。

 落ち着いて考えろと私は自分に言い聞かせた。明るい時期の下りで4日かかったのだから、暗い中を遡ったら最低5日、下手したら1週間だ。私はもう一度、海岸の岩場に目をやり、5日後の弱まりはじめた月光で本当に麝香牛の黒い影と岩の見分けがつくか想像した。それに天気の問題もあった。今は晴れて視界がいいが、氷床のときみたいに上空が雲におおわれたら何も見えなくなる。湖に着いたときに都合よく晴れているとは限らない。というかその可能性は低いような気がしてきた。そして、とても無理だと思った。ドーパミンが切れたせいか急に弱気になって、月の光だけで麝香牛なんて獲れるわけがないと思えてきたのである。もしセプテンバー湖に行き麝香牛が獲れなかったら、他にルートはないのでまた川を下るしかない。だとしたら他にもっといい場所があるのではないか……。

 今日はテントのなかでじっくり考えたほうがいい。そう思い直し、私は、今度はとぼとぼ2時間近くかけて来た道を引き返し、英国隊デポ跡地にテントを張った。