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小島秀夫が観た『マッドマックス』&『リュミエール!』 

モノクロが魅せる「映画の本質」とは何か?

2017/12/03

genre : エンタメ, 映画

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『リュミエール!』と映画の本質

 そもそも映画とは、我々の目の前に実体として出現するのではなく、脳内で像を結ぶように錯覚させるものだ。連続する静止画を動画としていかに錯覚させ、いかにリアルに感じさせるか、という試行錯誤が映画の歴史そのものである。

 こんなことを考えたのは、この秋に公開されたドキュメンタリー『リュミエール!』を観たからである。

『リュミール!』より © 2017 - Sorties d’usine productions - Institut Lumière, Lyon

 言わずと知れた「映画の父」オーギュストとルイのリュミエール兄弟が、1895年から1905年にかけて作った1422作品から108本を選び、デジタル修復したものにナレーションをつけて解説した作品である。

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 ここで紹介される108本を観ると、122年前に彼らが発明したシネマトグラフ(これは、撮影機であり、映写機でもあった)による「映画」に、すでに映画の本質の全てがあることが、改めてわかる。

 現在の我々が知っている「映画」の形式は、リュミエール兄弟が発明したものだが、それには前史がある。

 まずは、19世紀の前半に発明された「ゾエトロープ(回転のぞき絵)」。

 これは、側面に縦のスリットが入った円筒を回転させると、その内側に描かれた静止画が動いて見える装置である。静止画を動画として錯覚させるという、映画の要素のひとつが、ここにある。いわば、シネマトグラフの祖父のような存在だ。

 次に、エジソンが発明したキネトグラフとキネトスコープ。キネトグラフが撮影用の装置で、キネトスコープが見るための装置だった。キネトスコープは、箱の中に現れる映像を見る装置だった。その意味で、ゾエトロープに近い。世界初の映画館はキネトスコープ・パーラーと呼ばれ、この装置が設置されたという。多くの人が集まってくるが、一度に同じスクリーンで同じ映像を見るのではなかった。これは様々な筐体が置かれたゲームセンターに似ているかもしれない。

© 2017 - Sorties d’usine productions - Institut Lumière, Lyon

エジソンの箱、フレームとしてのスクリーン

 その発明の数年後、シネマトグラフが登場する。リュミエール兄弟は、エジソンが箱に閉じ込めていた映像を、スクリーンへと解放したのだ。彼らが「映画の父」と呼ばれるのは、多くの人が同じスクリーンに投影される巨大な映像を見るという形式を発明した、という点が大きいのではないだろうか。これは、彼らがシネマトグラフを撮影兼映写機として構想したことが大きい。エジソンとは違って、見るための装置を実装していなかったから、スクリーンが必要になったと言えるからだ。その結果、映画は、一堂に会した観客から入場料をとってスクリーンに映ったものを見せる「見世物」、つまり興行になる。現在の映画産業の基礎は、彼らが発明したのだ。

 しかし、彼らが箱から連れ出した映像はその後、長きにわたって、フレームに囲われたスクリーンに縛り付けられることになる。

 映画『リュミエール!』では、兄弟の最初の作品である『工場の出口』や、観客が本物と間違えてパニックを起こしたという逸話で有名な『ラ・シオタ駅への列車の到着』などが次々と紹介される。当時のフィルムの長さの限界のせいで、どれもおよそ50秒の超短編映画だ。

『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1897) © 2017 - Sorties d’usine productions - Institut Lumière, Lyon