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92歳で胆のうがんを患った作家・瀬戸内寂聴「娘ではなく『血のつながらない家族』が身近にいてくれる」

source : 文藝春秋 2015年3月号

genre : ライフ, 人生相談, ライフスタイル, 医療, ヘルス

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リハビリは裏切らない

 すぐにリハビリを開始し、初めは4人の療法士さんが交代で毎日1時間ずつ来てくれました。足の指を動かすなど簡単な訓練からはじめて、風船を脚に挟むなど少しずつ筋力をつけていきます。

 リハビリを嫌がる人もいますが、私は学生時代に陸上競技の選手でしたから、身体を動かすことが好きで楽しみながらできました。療法士さんの1人にとても熱心な方がいて、私の回復に合わせて難度をだんだん上げていくなど、いろいろ工夫してくれたのも助かりました。私は指導されたことはすべて実行したので、みるみる効果が表れました。

 退院して最初の検査はストレッチャーに寝たまま専用の車で病院へ運んでもらいましたが、4カ月後の検査はタクシーに乗って行けるほど回復していました。私が自分の足で立って歩くのを見て、先生や看護師さんもびっくりしていました。

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「リハビリは決して裏切らない」

 これは今回の発見です。現在も週2回のペースでリハビリは続けています。それほどリハビリを頑張ったのは、「このまま寝たきりになるのか」という恐怖心があったせいかもしれません。

 

 退院後にみなさんから「今回はさすがの寂聴さんも危ないだろうと心配していました」と言われましたが、私自身は死ぬとは思っていませんし、死を恐れてもいませんでした。「出家とは生きながら死ぬこと」という思いが常にあったからです。むしろ、そのまま寝たきりになってしまうほうが、よほど恐ろしかったのです。

 私は30代半ばで小説家になってから、1日として文章を書かない日はなかったと思えるほど仕事に励んできました。講演にしても法話にしても、世の中の役に立つことをずっと続けてきたつもりです。

 ところが、病気になってからは、ただベッドに寝ているだけで文字も書けない。いつ完治して社会復帰できるかもわからない不安な状況がつづきます。それが本当に嫌でした。

 何も生産しないでただ生きているという状態が自分に許せません。

「もうこのまま生きていたってしょうがない」

 1日中横になっていると、よくない考えが浮かんできました。自分が死ぬとは思わない一方で、生きつづけることが苦しく感じられてきました。ふと気づくと、私は鬱状態になりかけていたのです。

「いけない、鬱になってはダメ!」

 そう胸のうちで言って、どんどん落ち込んでいく気持ちを必死に奮い立たせてました。あの頃に私が本当に悪戦苦闘していた相手は、腰の痛みよりも、鬱になりかけている自分でした。世の中には寝たきりで鬱になる人が多くいますが、長く寝ていたら鬱になるのは当たり前なのです。

「神も仏もあるもんか」

 そう思ったこともありました。私は若い頃に相当悪いこともしたけれど、出家したあとは優等生のつもりでした。真面目に生きて、人様のためにできることは精一杯してきた。仏教の布教にも力及ばずながら努力してきたつもりである。それなのに、どうしていまさら、こんなひどい目に遭わされるのか。もしまた法話ができるようになったら、「みなさん、神も仏もありませんよ!」と言ってやろうと考えていたくらいです。

 

 私はそれまで、小説を書きながらぽっくり死ねたらどんなに幸せだろうと考えていました。ある朝、うちのスタッフが書斎の襖を開けたら、私がペンを握ったまま机の原稿用紙の上にうつぶせになっている。声をかけても返事はない。それが自分で思い描いていた憧れの死に方です。

 ところが、92歳になって激痛に苦しみ、癌の手術を受け、寝たきりになる。仏様がそんな目に遭わせるのか、と思ったのです。

 しかし冷静に考えれば、腰の痛みで長く入院したからこそ、癌は発見されました。自宅に戻っていたら手遅れになっていたかもしれません。そう考えると、腰の痛みが手術の2日前にピタッとやんだのも不思議で、やはり観音様はついてくれていたのかなと有難く思います。