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後藤 正治
2017/12/05

祝・永世7冠 羽生善治が若い世代に勝ち続ける思考法(前編)

時代と自分をいかにマッチングさせるか。ロングインタビュー。

source : 文藝春秋 2014年8月号

genre : エンタメ, スポーツ

 10年近く前、羽生の30代前半ということになるが、王座戦の観戦記(日経)を幾度か依頼され、羽生将棋をじっくり鑑賞した日々がある。対森内、対佐藤康光、対久保利明戦で、いずれも羽生の勝利に終わった将棋であったが、久保戦の観戦記・最終回(2007年10月16日付夕刊)で私はこう記している。

《中盤までずっと久保指しやすしと見られていた。事実、羽生の駒は凝り模様となり、桂頭から打って出る強行手段で局面を打開した。この間、久保にこれという悪手があったわけではない。にもかかわらず、久保の明瞭な勝ち筋も見つけられなかった。不思議な感触が残るミステリー将棋だった。

 今振り返って思うのは、久保指しやすしであったとしても、それは微差であり、“通常人”の感触であり、羽生だけに視えていた固有の秤があったのではないかということである。それを解きほぐすことができれば、羽生将棋のコアに接近できるだろう》

 年月を経て、羽生は40代に入った。一般的に将棋は若年層が優位に立つゲームである。羽生もまた追い上げられる世代へと移行しつつあるが、彼だけに視えているもの、その固有の秤(はかり)――もまた広がりと深みを増しているように思える。

局面を見極める力

――記憶力とか戦術研究という面では若い世代が優位といわれる将棋界ですが、第一人者の位置を揺ぎなく確保されているのは?

©文藝春秋

「記憶の力が将棋の結果につながることはありますが、40代に入るとさすがに記憶力に頼るということはないですね。そうではないところでいかに棋力を補うか、だと思っています。記憶力のピークは20代前半のころでしょう。自分の指した将棋のみならず、隣で指している将棋の棋譜もすべて覚えていることがありましたから。将棋って、いいかげんな記憶は意味がないんです。40枚の駒の配置のうちで38枚記憶していても2枚位置がずれていたら、もう全く別の局面ですから。それが経験と共に、覚えることにこだわらなくていいと思えるようになる。それは意識せずに自然とそうなります。

 また画期的な新戦法や作戦が出てくると、それに対応しない過去5年分のデータはもう覚えている必要はないということもある。むしろ忘れてしまったほうがいい。覚えることは大変ですが、忘れる力は年齢が上がるとどんどん伸びていってくれます(笑)」

――指し手を読むという点でもピークはあるのでしょうか。

「読む力自体は年齢が上がっても変わりません。ただ思考の中で、20代は8割を読みに費やしていたのを5割6割にして、あとは感覚的な判断や方向性をとらえるようになりました。若いころは、葉の部分、ミクロの細かい部分を詰めて、それから枝へ幹へ思考が移行していくことが多かったのに対し、マクロ的に局面全体をとらえてから、読みというミクロのところで確認するように順番が変わりました。経験を積んで自分で向上したと思うのは、見切るということに関してでしょうか。局面を見渡して、これなら大丈夫とか、この筋は駄目だとか、この手は可能性があるとか」

――捨てるべきものと、そうでないものを腑分けする力について、もう少し聞かせてください。

「将棋は平均120手、お互い60手ずつ指すわけですが、その全ての局面をゆっくり考えている時間はありません。ですので、ここが勝負どころとか、課題になっているという場面をとらえられるかどうかが、まず最初の大事な判断になるわけです。

 その上で、ここは30分でも1時間でも考える価値があると判断するときもあるし、あるいは、難しすぎて判断も考えもできないから、考えないで、とりあえず手を決めて局面を進めようと判断することもある。しっかり考える局面か、パッと判断するべき局面か、実戦では初めて見る局面で判断するわけです」

――それは経験とともに身につくものですか。

「うーん。必ずしもきれいに経験と正比例するとはいえない気がしますね。そこに感情的な迷いが生じることがありますし、初めて見る局面に羅針盤がまったく利かず、判断が誤っているケースも多数あります」

――以前インタビューした折に、この筋の正解はいますぐには見つからない。ただ、豊かな可能性を秘めたものであろうから抱えていきたい。考えるに足るものを考える、という意味のことをおっしゃったことを印象深く覚えています。

「新しい手や戦術が出てきた際に、それがどの程度の鉱脈をもつのかを見極めるのが大事だと思っています。これからいっぱい油が出るのか、逆に半年も掘れば枯れそうなのかと。

 この点、将棋の世界はとてもわかりやすくて、真似してくれる人が出ると鉱脈があるということなんですよ。たとえば名人戦でやってみた鎖鎌銀については、あれ以降、この戦法を指した将棋は出ていない。多分、鉱脈があまりないんです(笑)」