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連載平松洋子の「この味」

崩れる一歩手前、ふるふるとろとろの豆花を須田町で――平松洋子の「この味」

2017/12/14
©下田昌克

 この三択は酷というものだろう。

「竹むら」の粟ぜんざい。
「ショパン」のアンプレス。
「東京豆花工房」の豆花。

 神田須田町、小さな三角地帯のなかで三つの甘味が押しくらまんじゅう。思考停止に追いやられる。

 今回は豆花のことを語りたい。

 台湾の伝統的な甘味で、ドウファと読む。名前からして愛らしい。

 つるんと口に滑りこませた瞬間、甘い雲みたいに消え失せる。その儚さを初めて知ったときは衝撃が大きく、旅の間じゅう毎日食べた。あとにも先にも、そこまで甘いものに入れあげたことは、ない。

 豆乳ににがりを打って柔らかく固めたもの。ふるふる、とろとろ。儚い口溶けはおぼろ豆腐や杏仁豆腐の比ではなく、「固めた」というより、「崩れる一歩手前」と言うほうが正しい気がする。鍋からお玉ですくって碗に移し入れ、とろっとほの甘いシロップをかける。

 私が通った小さな移動式屋台は、おばちゃんがひとりでやっていた。出来ますものは温かいのと冷たいの、二種類だけ。どっちを頼んでもゆでピーナッツをスプーン一杯分のせてくれ、アルミのれんげを添えて白い碗を手渡してくれた。早朝、パイプ椅子に腰掛けていると、出勤途中のおじさんが温かいのを食べていったりするのもいい風景だったが、もう二十五年も前のこと。いまも豆花は台湾人の心の拠りどころだけれど、昔ながらの屋台は消え、季節のフルーツなんかのせて出す洒落たスイーツ店に様変わりしているようだ。

 帰国しても豆花が頭から離れず、豆乳をゼラチンで固めて自作してみたりしたが、ニセモノ感が悲しくて落涙。以来ずっと、豆花のことは忘れたふりをしてきた。

 ところが! その豆花が、神田須田町で食べられるようになったのです。須田町はJR御茶ノ水駅から歩いても十五分ほど、昔の東京の空気を醸す界隈だ。そもそもここにはうまいものがひしめいていて、困る。そばの老舗「神田まつや」「かんだやぶそば」、鳥すき「ぼたん」、あんこう鍋「いせ源」、とんかつ「万平」、洋食「松栄亭」、甘味「竹むら」……書いているだけでたまらない。どこか一軒入ったら、すぐには立ち去りがたく、昼間なら昭和八年創業の喫茶店「ショパン」で小一時間ほど過ごすのが習慣になっている。

 二年ほど前、その「ショパン」の左隣に豆花の専門店「東京豆花工房」ができ、えッ!? と驚いた。

「原味豆花」五百円。熱いの、冷たいの、両方ある。上にのせる材料も台湾と同じだ。花生(ゆでピーナッツ)、薏仁(ハトムギ)、白木耳(白きくらげ)、白玉、蓮子(ハスの実)、緑豆、大紅豆(金時豆)、紫米、芋頭圓(タロイモ団子)、南瓜圓(かぼちゃ団子)……日によって異なる九種類ほどの材料が並び、プラス百五十円で好みのものをのせてくれる。

 かき氷もそうだけれど、異なる食感と味を組み合わせて上にのせるのは、台湾ならではの貪欲な食味感覚だ。ぶにぶにのタピオカ、ぷちぷちのハトムギ、きしきしのピーナッツ、ひとすくいごとに違うおいしさが口のなかに広がる。それを「崩れる一歩手前」の豆花が受け止めるのだから、くらくらするでしょう? しかも、冬場は「生姜シロップはじまりました」の張り紙。

「竹むら」を思い、「ショパン」を思い、向かいの「かんだやぶそば」を眺めながら啜りこむ温かい豆花。東京の贅沢だな、といつも思う。