昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載THIS WEEK

高校野球に五輪に“作新の夏”
船田元は憲法改正で復活狙い

source : 週刊文春 2016年9月1日号

genre : ニュース, 政治

当選11回ながら閣僚は1回だけ
Photo:Kyodo

 今年の夏は、作新の夏だった。54年ぶり2度目の夏の甲子園優勝を果たした栃木の古豪・作新学院。メダルラッシュに沸いたリオ五輪で、日本勢初の金メダルをもたらした水泳の萩野公介もOBだ。

「萩野君に続け、ではないけれど、地球の裏側でも作新学院の風が吹いている」

 こう作新ナインを激励していたのが、学院長の船田元衆院議員(62)。作新学院は船田氏の曽祖父が創立し、約130年の歴史を持つ。祖父は衆院議長、自民党副総裁、父も参院議員、栃木県知事を歴任。その過程で、作新学院は幼稚園、小中高、短大、大学まで擁する学校法人グループに成長し、船田家の強固な政治基盤となってきた。

 そして、“作新のプリンス”として、政界に打って出たのが元氏だ。25歳で衆院議員に初当選すると、竹下派で小沢一郎氏の側近として頭角を現し、戦後最年少(当時)となる39歳で経済企画庁長官として初入閣を果たす。

 宮沢内閣不信任案が可決されると、大臣を辞任して小沢氏と共に自民党を離党した。メディアで政治改革を訴え、若手リーダーとして注目を集めるようになった船田氏。同じく“改革派”の旗手として、人気が高まっていた鳩山由紀夫氏とタッグを組み、政界の台風の目となったのが「鳩船新党」構想だ。

「小泉純一郎氏は『将来は自民党と鳩船新党の二大政党になるかもしれない』と漏らすほど警戒していた。しかし、船田氏は結党を決断できず自然消滅。当時、船田氏と近く、鳩船新党に反対していたのが、石破茂氏、高市早苗氏でした」(自民党関係者)

 船田氏の転落のきっかけは、作新学院の副院長を務め、地元を守っていた前夫人と離婚し、参院議員だった畑恵氏(現・作新学院理事長)と再婚したことだった。この再婚は後援者の猛反発を買い、2000年の衆院選では落選の憂き目を見る。

 そんな船田氏が、ライフワークとしてきたのが憲法改正だ。憲法改正に前向きな安倍政権下で、自民党憲法改正推進本部長に就任。しかし、昨年6月の衆院憲法審査会での参考人質疑で自ら人選にかかわった憲法学者が安保関連法案は「違憲」と指摘。10月には本部長を退任させられた。

「ただ、野党に融和的な二階俊博幹事長になって、野党に人脈を持つ船田氏を再評価する声もある」(自民党議員)

 作新の風に乗れるか。