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連載オカンといっしょ

オカンといっしょ #12 Silver(前篇)「成人式に行かなかった奴の家には、ピーターパンがやって来る」

ツチヤタカユキの連載小説

genre : エンタメ, 読書

「人間関係不得意」で、さみしさも、情熱も、性欲も、すべてを笑いにぶつけて生きてきた伝説のハガキ職人ツチヤタカユキ。これは彼の初めての小説である。

 彼は、父の顔を知らない。気がついたら、オカンとふたり。とんでもなく美人で、すぐ新作(新しい男)を連れてくる、オカン。「別に、二人のままで、ええやんけ!」切なさを振り切るように、子どもの頃からひたすら「笑い」を摂取し、ネタにして、投稿してきた人生。いまなお抜けられない暗路を行くツチヤタカユキの、赤裸々な記録。

◆ ◆ ◆

「この劇場の支配人です」

 僕はその人の事を、深夜番組で何度か見かけた事があった。その人は、かつてダウンタウンのマネージャーだった。

「普通は、芸人も作家も、養成所に入ってちゃんとそこを卒業してからここに来るんや。せやのに君はなんでここに来た? ……君は誰や?」

 話は、今から2ヶ月前に遡る。

「しばらく入院する事になったから」

「なんで?」

「病院の検査でガンが見つかってん。まだ、早期やから、別に大丈夫やねんけど。しばらく入院するから、洗い物のやり方とか教えるわ」

 いつも明るいオカンなのに、その時は何だか停電になったみたいに明かりが消えていて、真っ暗なオカンが僕に洗い物を教えてくれた。

 その時、思い出したのは、サリバン先生がヘレン・ケラーに水を触らせて「Water」だと教えたエピソード。

 洗い物を教わっている間、母からはまるで、もうすぐこの世から居なくなるみたいな空気が漂っていた。

 あの黒色も、この洗剤で擦って、今すぐに落とせたらええのになあ。

 もしもこのままオカンがおらんくなるんやったら、リモコンの一時停止ボタンを、間違いなくここで押す。すると、水道の蛇口から流れだした水も途中で止まり、宙に浮く。泡だらけのコップを、その水の下に置く。

 この水が母からの愛情、コップが僕で、今までずっと、当たり前のように注がれ続けていた事に気付く。

 洗い物をした後の手は、プールサイドの匂いがする。

 

 小学校の時の国語の成績は、最悪だった。教師はオカンにこう言った。

「毎晩、本を読み聞かせてあげて下さい」

 以来、オカンは毎晩、童話を読み聞かせてくれるようになった。

 たいていの童話には、何かしらの教訓が含まれている。しかし、すぐにオカンがめんどくさくなって、途中で止めてしまった。その時に読みかけだったのは『幸福な王子』。だから、僕はあの童話のラストがどうなるかを知らない。

 ずっとそれを知らないまま20歳になり、成人式の日がやって来た。だけど、僕は行かなかった。パジャマのまま生きていた1年間。ニートのまま迎えた成人式。

 まるで自分が、とんでもなく醜いバケモノになったみたいに、今の姿を誰にも見られたくないと思った。

 成人式に恥ずかしくて行けない、オレみたいな奴って、あと何人くらいおんねやろ? オレの知らないところで成人式は始まり、そして終わっていった。他人事。まるで、遠い国の出来事みたい。

 成人式に行かなかった奴の家には、ピーターパンがやって来る。連れて行かれる先は、ネバーランドじゃなく、自分の過去。

 その過去で、昔の自分に一言だけ言葉を投げかける事ができる。

「そのままやったら、こんな風になってまうぞ?」

 それでも僕は、同じように生きるのだろうか? もし、間違いなのだとすれば、どこから道を間違えた?

 もう元には戻せないし、戻すとしても、どこから戻せばいいのか分からない。

「君の将来はきっとよくなるし、この世界は素晴らしい」

『ライフ・イズ・ビューティフル』で父親が息子についた、素敵な嘘みたいな一言は、絶対に言えない。