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吸って吐いて生きる。身体の不思議を体感する、吉開菜央の映像作品

アートな土曜日

2017/12/16
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 AIやロボット技術は日進月歩。人の身体なんて早晩いらなくなるんじゃないか。本気でそう思わせるニュースがたくさん出回る昨今に、身体にばかりこだわって作品をつくるのが吉開菜央(よしがい・なお)。彼女の初個展「呼吸する部屋」が、東京・外神田のAI KOWADA GALLERYで始まった。

ほったまるびより ©naoyoshigai

身体性が強調して描かれる、4つの映像作品

 暗幕をかけ光を遮った小さいギャラリーに身を置いてみる。動くもの・見えるものは、壁面いっぱいに映し出された映像のみ。意識はおのずと画面に集中する。

 4つの短編映像が順に流されていく。「Some rules in the morning」は清々しい朝の公園で、ふたりの女性が呼吸を合わせて走り跳ね回る。既存のものでは飽き足らず、独自に編み出したラジオ体操でもしているかのよう。手足の隅々までしっかり動かし、深く息を吸い、彼女たちの身体が目覚めていくのがわかる。つい同調してしまい、観ているこちらまで少し息が上がる。

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 続く「I want to go out」は一転、荒涼たる野原が舞台。遠景にまた女性がふたり現れて、今度は激しくぶつかり合い、倒れ、またぶつかり……。爆ぜるような動きの繰り返しは、無機的な環境に押しつぶされぬため生命が必死に主張しているみたいだ。

I want to go out ©naoyoshigai

「ほったまるびより」は30分超と最も長い作品だけど、明確なストーリーがあるわけじゃない。そもそもセリフだってない。古い家のなか、幾人もの女性がカサコソ動き回る。座敷童子かジブリ映画に出てくるススワタリか、とにかくこの世ならぬものであるらしい。住む者の抜け毛や指の甘皮を拾い集め、溜め込んで喜ぶさまは、かわいらしくもあり不気味でもある。

 人体のかたちと動きを強く印象に残すシーンが現れては消える。眠りながら見る夢をすべて覚えておいて並べたら、きっとこんなことになるだろうと思わせる映像だ。

「静坐社」は他に比べてすこし現実感が濃い。大正時代に流行した「岡田式静坐法」なる健康法を広めていた本拠が、京都にあった。その家が取り壊されるというので、引越しを手伝うかたわら撮影もしたという。

 岡田式静坐法とは、姿勢を正して呼吸を意識する健康法。それが実践されていた家のなかには、過去にここで吸って吐かれた呼吸の息吹が堆積して残る。その痕跡をそっと拾い上げる手つきが、そのまま映像化されている。

静坐社 ©naoyoshigai

映像と音で、呼吸の個性を見分けてみる

 わかりやすいストーリーよりも、その場そのときに作り手が感じた身体的な驚きと気づきを留めんとした映像ばかりだ。それもそのはず、吉開菜央は映像作家であるとともにダンサーであり、みずからパフォーマンスの舞台に立つこともしばしば。身体性を常に意識しながら映像を紡いできたアーティストなのである。

 とりわけ今展ではタイトルの通り、誰もが身体を使って当たり前にし続けている呼吸に着目。どの作品でも、登場人物の呼吸が強調されている。胸や腹が膨らんだかと思えばまた引っ込み、ゆったりとリズムを刻む。その様子を丁寧に映像に収めている。ああ人間とは、何か意味ある行動をしたり話したりする以前に、呼吸する身体なのだったと改めて気づかされる。

 映像に付される音もいい。随所に呼吸音が入り込んできて、それが耳に快く響く。吸う音、吐く音にはこれほどのバリエーションがあるものかと驚いてしまう。

吉開菜央 撮影:黑田菜月

「そうなんです。吸って吐くというごく単純なことなのに、ひと呼吸ずつすべて違いますからね。つまりわたしたちは、人生を通して一度として同じ呼吸なんてしないんですよ」

 と、アーティスト本人が呼吸の不思議を教えてくれた。

「しかも呼吸は、人の精神状態に大きな影響を及ぼします。呼吸を整えれば気分は落ち着くし、呼吸が乱れれば気持ちも揺れる。呼吸ってほんとうにおもしろい。作品のなかの吸って吐く音は、ほとんどすべてわたしの呼吸音を録音して使っています。映像を観ながら、同時に耳でも呼吸を感じてみてください」

 眼も耳も、フル稼働して味わうべき展示だ。

吸って吐いて生きる。身体の不思議を体感する、吉開菜央の映像作品

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