昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

連載高野秀行のヘンな食べもの

ペルー発、華やかでやがて虚しき「ピスコサワー」――高野秀行のヘンな食べもの

2017/12/26
イラスト 小幡彩貴

 アンデスの由緒ある酒・チチャ。

 その美味さをアマゾンで知った私だが、アンデスの町クスコに戻ってからチチャは飲めなかった。

 当然、どこかにあるのだろうが、今や地元庶民(特に農民)の地酒となったチチャは観光都市と化したクスコの町では簡単に見つからないし、私も積極的に探さなかった。

 だいたい、チチャは昼間に仲間たちとわいわいやりながら飲むか、あるいは喉が渇いたとき水やエナジードリンク代わりに一杯さくっとひっかける酒で、冷え込みがきついアンデスの夜にガブガブ飲むものじゃない(薄いのでガブガブ飲まないと酔えない)。

 では、夕飯の前後にキュッと飲んで酔えるような強いローカル酒はないのか? というと、これがちゃんとある。ブドウの蒸留酒「ピスコ」。

 十七世紀初め、つまり日本の江戸時代初め、まだ大坂の陣で真田信繁が活躍していた頃、ヨーロッパから移住した人が首都リマの近くにあるピスコで作り始めたからこの名がついた。ブランデーの一種だが、樽で熟成させないので無色透明。

高かろう旨かろうが切ないピスコサワー

 ところがである。旅行者はピスコも気軽に飲めない。ピスコの値段はピンキリだが、安いものは五ソル(百六十五円)でも買えるという。でも、アルコール度数四十二度もある酒をストレートでは飲めないし(特に高山病の気配が残っている私には無理)、バーやレストランではもっぱら「ピスコサワー」なるカクテルで提供される。というより、ピスコサワーこそ最も世界で知られるペルーの酒なのだ。

 が、大変残念なことに、これは目が飛び出るほど高い。店によってちがうが、だいたい一杯二十ソル(六百六十円)。対して、チチャはふつう一杯一ソル。つまり、ピスコサワーはチチャの二十倍なのだ(ピスコサワーだけでなく、バーやレストランのワインやカクテルはみんな高い)。

 ピスコサワーとチチャはともにペルーを代表する酒なのに、相容れない関係にある。この国の巨大な生活格差を象徴しているかのようだ。

 だが、やっぱり飲んでみたいという欲求には勝てない。ということで、宿の近くのお洒落なバーで頼んでみた。ハイセンスなカットグラスに入った液体はなんとクリームのように真っ白。怪訝な気分で一口飲んで「おおっ!」と思わず声が出そうになった。柔らかい泡に覆われ、その中から冷えた酸味のある液体が喉に流れ込んできた。って、これ、まるでチチャじゃん!

 チチャは美味いけど、もっと味とアルコールを濃くして、飲み応えのある夜の酒にしてほしいと思っている人――つまり私みたいな人間が開発したとしか思えない。チチャの良いところをデフォルメして凝縮したようだ。

 ほんのりとした甘みと酸味、そして何よりふわふわの泡。ピスコサワーは、ピスコに卵白、ライム、ガムシロップ、氷を混ぜると聞いた。卵白をかき混ぜると泡立つ。チチャの泡を再現するために誰かが大坂の陣の頃、ペルーで考案したのではないか。

 ピスコサワーは感動的なほどに優雅で華やか。しかし最大の問題はカネだ。泡の部分が多すぎ、ほぼ一瞬で飲み終わってしまう。これでチチャ二十杯分。虚しい。もちろん、おかわりする勇気はない。

 このあと、二回、誘惑に負けてピスコサワーを飲んだが、何度飲んでも華やかさに感動する。と同時に虚しい。心地よく酔いながらも「チチャ二十杯」と思ってため息が出る。こんな複雑な心境に陥らせる酒は私の長い旅経験でも他にない。誠に希有な酒なのである。