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連載平松洋子の「この味」

食欲を飼い慣らす方法は“「食べない」を食べる”こと――平松洋子の「この味」

2017/12/28
©下田昌克

「あのう、何も食べたくないって思うことはないんですか」

 仕事で会った若い女性にやぶから棒に訊かれ、勢い込んで答えた。

「あります、あるに決まってます!」

 とくに冬場、気持ちが千々に乱れる。

 寒波襲来。冷えこみがきつくなると、てきめんに動きが鈍る、運動量が落ちる、カロリー消費が減る。朝方一時間半ほど歩く習慣にしても、十一月に入ってからこっち、開店休業中だ。くわえて、日中ずっと机に向かう座り仕事。なんだかんだ立て込むと、終日ずっと石地蔵状態の日も少なくない。

 そういうわけで、冬場は腹が空きにくい。スカッと空いて欲しいのに、たいして空かない。

 だったら食べなきゃいいと思うわけだが、ここが苦しいところ。空腹になっていない身体は、「いま新たに食べ物を入れてくれるな」と泣きを入れてくるのだが、いっぽう「イイジャナイデスカちょっとくらい」と耳もとで囁きかける邪悪な声。栄養とかエネルギー補充とかぜんぜん関係ない、欲望という角度から攻め込んでくる。

 食べ物が、ストレス発散のための、手っ取り早い装置として動員されているのだ。大学の研究機関に勤めている知り合いが、「机に囓りついて論文を書いている期間は、決まって三キロ以上太る」と言うのを聞いて、ものすごく納得したことがある。主食は饅頭、パウンドケーキ、カステラなど。おやつはプリン、チョコレート。わかっちゃいるけど止められない、期間限定だからと割り切って、ひと区切りついたあとにジム通いをするらしい。それってボクサーの逆だなあ。

 バランスよく、と口で言うのは簡単だけれど、冬はそれがムズカシイ。私も、いつも揺れている。年末年始は飲み食いの機会が増えるし、忘年会もちょいちょい。うっかり油断すると、体重計に乗って絶叫……ぜひとも避けたい。

 なるべくシンプルにいけたらな、と思う。

 腹は減っていないので、食べない。

 腹が減ったので、食べる。

 間隙を縫って誘いをかけてくる欲望だって、どうにかうまく飼い慣らしたい。

 試行錯誤のあげく、私が導入したのはこれだ。

〈「食べない」を食べる〉 禅問答みたいだけれど、これがけっこう効くみたい。

 我慢したわけじゃなく、「食べない」という一食を食べた。

 そう思うと、ふんわりとした満足感がある。納得して、気分が落ち着きます。あきらかに脳をごまかしているのだが、そのあたりの微妙なところにも、脳は付き合ってくれるものらしい。食べたんだもん、と思ってみると、とりあえずストレスに脅かされずにすむから不思議だ。

 それでも、もやもやしたら。

 私の善後策は、味噌汁を飲む。にらの味噌汁、豆腐の味噌汁、大根の味噌汁、白菜キムチの味噌汁、あるいはかき玉汁。もっと簡単にいくなら、湯呑みに梅干しやとろろ昆布、かつおぶしを入れ、熱い湯を注いでふうふう吹きながら飲んでいると、騒いでいた欲望の虫が静かになってくる。しめしめ。

 ――そんな話をしながら、ふと気づいたら、私は冒頭の彼女に、ひと束分のにらを細かく刻んだ味噌汁とか、熟成した白菜キムチの味噌汁のおいしさを熱心に語っていた。あっ、おなかが空いてきた。