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小島秀夫が観た『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』

2017/12/31

genre : エンタメ, 映画

note

『METAL GEAR SOLID3 』とスターウォーズについて

 しかし、フォースというものは、特別な血統や出自によって受け継がれるものではなく、ルーク自身がレイに語るように、フォースは「全てに宿るエネルギー」だということが明かされる。

 エピソード1から6までは、ルークとレイア、ベイダーのスカイウォーカー一族の物語だった。フォースという特別な素質を持った人間が物語の主人公になる。特にエピソード1から3は丸ごとベイダー誕生の物語だった(ちなみに、『METAL GEAR SOLID3 』は、ビッグボス誕生というプリクエルの位置づけのせいか、SWからの影響を時々指摘される。ベイダー=ビッグボスという連想のせいだろうが、それは違う。あれは「猿の惑星」シリーズや、S・ハンターの「スワガー・サーガ」のシリーズ構成を意識している)。

 王国が権力を世襲していたように、フォースも選ばれた者の血筋によって継承される。だがそうではなく、誰でも“フォースの覚醒”に恵まれる可能性があるのだ。誰もが物語の主人公になれる。レイア「姫」は、もはや「姫」ではなくレジスタンスの指揮官で、それは誰かと交代できる存在なのだ。だから“最後のジェダイ”が死んでも、SWは続く。

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©getty

「血のように見える」赤い塩

 同じことはゲームの世界でも起きている。以前の主人公は、エリート(特殊な技術や前歴を持った“選ばれた”人間)ばかりだったが、『Grand Theft Auto』などから、マイノリティーや社会的弱者が主人公になるようになった。選ばれた人間だけでなく、誰もが主人公=プレイヤーになれるのが、今という時代だ。

『最後のジェダイ』は、SWを神話の時代から解放して、現代へと解き放とうという試みかもしれない。それを示唆するのが、少年が宇宙を見上げるラストシーンだろう。
誰もがSWのユニバースの主役になれる可能性がある、それを示唆したのが本作なのだ。王様がいなくなった王国で、新しい時代が始まる。

 王様を倒す流血の革命の時代は終わり、スター「ウォーズ」ではなく、誰もが参加できる「フェスティバル(祭り)」の時代が始まったのだ(塩の惑星で派手に舞い上がったのが、血しぶきではなく、「血のように見える」赤い塩だったことは、象徴的だ)。

 この新しい王国の安定と繁栄を保つために、年に一度のフェスティバルが開催される。終わらないフェスティバルが始まる。

 ジョージ・ルーカスではなく、ディズニーがSWというフランチャイズを手がけるというのは、そういうことなのだ。マジック・キングダムで、誰もがプリンスやプリンセスになれる。血は流れず、革命も起こらない。

 本作ではSWという枠の破壊ではなく、継承が行われた。銀河の片隅の名も知らぬ少年にもフォースは宿るという、革命の予兆が描かれた。『フォースの覚醒』から『最後のジェダイ』へと至り、革命の準備は整ったはずだ。

 誰もがフォースを手にして、血が流れる革命が次回作で描かれるのを期待したい。

 そのクリフハンガーこそが『最後のジェダイ』なのだ。

INFORMATION

『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』
公開中
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
©2017 Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.su

小島秀夫が観た『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』

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