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手嶋 龍一
2018/01/10

手嶋龍一さんが20歳の自分に読ませたい「わたしのベスト3」

手嶋龍一/外交ジャーナリスト ©文藝春秋

 慶應義塾大学では教員に春の入試の監督が例外なく振り当てられる。全ての試験が終わって解答用紙が回収されたその時、受験生のひとりがすっと手を挙げた。

 「気持ちが晴れ晴れとする、そんなお奨めの本を教えてください」

 試験が終わってもしばし退室は許されず、監督者も入試以外の会話は禁じられている。だが、その溌剌とした表情に心動かされ、短編の名手、ロアルド・ダールの『単独飛行』と北欧の男爵夫人、ディネーセンの『アフリカの日々』を挙げた。四年後、入試会場にいた別の学生とキャンパスで遭遇した。「ダールの複葉戦闘機が不時着した砂漠地帯とコペンハーゲンのディネーセン邸を訪ねてみました」と告げられた。ああ、二十歳の自分もこれらの本に出遭っていればきっとアフリカ大陸に出かけていたはずだ――と残念でならない。
『単独飛行』は、『少年』に続く、ダールの痛快な自伝だ。英国の上流階級の子弟が通うパブリック・スクールに馴染めないダール少年は、大学進学を拒んでシェル石油に入り、東アフリカを目指す。やがて第二次大戦が勃発するや、彼の地で志願して戦闘機のパイロットとなった。

 その八年前まで、貴族と別れたディネーセン夫人は、真っ白な雪を戴く高峰キリマンジェロの山裾で広大なコーヒー園を営んでいた。果てしない眺望がひらける自然の全てが「雄偉、自由、気高さを目指していた」という。「この地こそ自分の居るべき場所なのだという喜び」をその澄みきった文体で綴っている。

 気高く凜とした北欧の男爵夫人の向こうを張るなら、われらが山田桂子さんを措いてほかにいないだろう。倉橋由美子が世に送り出した魅力溢れる英文学専攻の女子大生は、先頃、小学館刊の新装本『夢の浮橋』で蘇った。典雅にして美しく、知的に成熟した女性は、戦後のこの国では絶滅危惧種になりつつあったのだが、桂子さんがいることを誰か教えてくれれば――と二十歳の自分を思って心残りでならない。

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『単独飛行』ロアルド・ダール/ハヤカワ・ミステリ文庫

単独飛行 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ロアルド ダール(著),永井 淳(翻訳)

早川書房
2000年8月1日 発売

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『アフリカの日々』アイザック・ディネーセン/晶文社

アフリカの日々 (ディネーセン・コレクション 1)

アイザック・ディネーセン(著),横山 貞子(翻訳)

晶文社
1981年4月25日 発売

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『夢の浮橋』倉橋由美子/小学館

夢の浮橋 (P+D BOOKS)

倉橋 由美子(著)

小学館
2017年8月8日 発売

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