文春オンライン

がんになったときに読みたい3冊――荻野アンナ

2018/01/18
note

 5年前、大腸がんで手術をした。入院先の枕元にはモンテーニュの『エセー』と鉱物図鑑が並んだ。

『エセー』の第1巻には「哲学することとは、死に方を学ぶこと」と題された19章が存在する。麻酔から覚めて、身体に自由が戻ったとたん、手にしたのはこの本だった。今、読み返すと、「死についてあらかじめ考えることは、自由について考えることにほかならない」などという箇所に線が引いてある。死と隣合わせのベッドで、モンテーニュに導かれて死を考えることで、私はかろうじて「自由」な心でいることができた。

©iStock.com

 病室の目の楽しみが鉱物図鑑だった。このころから石の趣味を持ち始めていた私は、手の届くところに魚眼石と瑪瑙の小さな標本を置いていた。図鑑にはその時付けた山のような付箋がそのままになっている。鉛丹には「がん」、銀黒には「スペアリブ」とメモがある。似ている、と言いたいのだろうが、病人ならではの神経の高ぶりは、今の私には無縁だ。

ADVERTISEMENT

 鉱物は人間の時間を超越した存在である。地球という大きな命を凝縮して、不動の姿を示している。自分の病気を相対化させてくれるありがたい存在だった。

抗がん剤治療中に読んだ、パスカルの「賭け」の原理

 手術から抗がん剤治療になると、パスカルが登場する。手術というその場の危機は乗り越えたものの、今度は再発の可能性に怯えることになる。そのとき、パスカルの「賭け」の原理にすがりついた。

『パンセ』のパスカルは読者に信仰を勧める。神がいるほうに賭ければ、実際に神が存在した場合、天国が待っている。神が存在しなくても、失うものはない。同じ理屈で、私は再発しないほうに賭けたのである。たとえ再発しても、それまでの時間をくよくよせずに過ごせるからだ。

 そんな1日の積み重ねが5年となり、無罪放免となった今も、パスカルとモンテーニュにはお世話になっている。人生のたいていの有事には、彼らの答えが用意されている。鉱物趣味はその後本格化し、大量の石のかけらが部屋に転がっている。まさにローリングストーン。「ロック」に暮らしている。

『パンセ 上(パスカル、塩川徹也訳 岩波文庫、2015年、2016年)
『エセー 1』(モンテーニュ、宮下志朗訳 白水社、2005年)
『楽しい鉱物図鑑』(堀秀道 草思社、1992年)
『楽しい鉱物図鑑〈2〉』(堀秀道 草思社、1997年)

 

INFORMATION

『カシス川』
荻野アンナ

定価:  本体1,500円+税
発売日: 2017年10月05日

がんになったときに読みたい3冊――荻野アンナ

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー