翌2月13日から最後の関門である氷床越えにとりかかったが、天気は奇妙なほどに安定していなかった。

 その日の晩は無風だったが、朝食中から急に風が吹き出し、数日前に降った雪でひどい地吹雪となった。これまでの経験から判断すれば、氷床で強風が吹きはじめると止むことなく1日以上は続く。これは今日はダメだ、と判断した私は停滞を決め、朝食が終わると寝袋の中に潜りこんだ。ところが眠りにおちようかという段階で、風は突然ぱたりと止み、完全に無風にかわった。

 それまでテントはばたばたと激しく揺れていたのに、突如シーンという嘘みたいな静寂につつまれた。

氷点下40度、暴風のなか犯したミス。

 なんだ、これは……?

 急激な天候の変化に、私は戸惑った。まる1日続くと覚悟した風がわずか1時間半で止んでしまったのである。時計をみると11時、まだ時間はたっぷりある。仕方がないので慌ててコンロに火をつけ、凍った毛皮靴を解かし、靴下を温めて、出発の準備をすすめた。

 アウンナット側からの氷床越えはまず急な雪面登りからはじまる。往路のときに闇の中で袋を落として走って取りに行った、あの雪の急斜面だ。急斜面を30分ほどで登り切ると、次はスキー場の不整地斜面のようにぼこぼことコブがつきだした裸氷帯となる。コブの間の雪が詰まったところを選んで南にまっすぐ進んでいくと、やがて足元の傾斜は緩んでいき、だらだらとせりあがった氷床の全体的な景観が視界に入ってきた。

 すっきりとしない曇り空が広がり、今日、昇るんじゃないかと期待していた太陽の姿は、そこにはなく、ただ夕焼け空のような薄紅色がうっすらと広がるだけだった。おかしなことに、歩いているうちにまたしても風が吹きはじめ、あっという間に強まって一気に行動不能な暴風と化した。濃霧が立ちこめ、ガスが強烈な風に乗って雪崩のように押し寄せ、視界も消えてしまった。なんなんだこれは? と私は思った。時計を見るとまだ2時半、今度はたった3時間半で嵐に逆戻りしてしまったのだ。わけが分からないが、ちょうど平坦地が見つかったので、そこにテントを立てることにした。だが、明るくなって気持ちが緩んでいたせいか、私はこのとき普段なら絶対しない初歩的なミスをおかした。テントの本体が強風の圧力を受けているのに、強引にストラップを引っ張ってポールを立てようとしたのだ。ぐいっとテンションをかけた瞬間、極地用特注テントの太いジュラルミン製のポールが、ぼきっと木の枝みたいに簡単に折れた。

 状況としては風がものすごい唸り声をあげて吹き荒び、視界もほぼゼロ、体感温度は氷点下40度といったところだった。この風ではとても悠長に修理などしていられない。身体のほうは外の気温に慣れているので寒さは感じないが、肉体のほうは物理的な環境に反応するので手足がすぐに凍傷になる。仕方なく私は地面でばたつくテントの生地のなかに荷物を入れて、風上側に積みあげて内部に多少の空間を作った。そのまま風がやむまでビバークしようかと思ったが、いつまでつづくか分からないので、中で折れたポールを交換し、もう一度強風の中、テントの設営に挑んだ。今度はじわじわテンションをかけて、どうにか立てることができた。

 あー良かったとホッとしていたら、またたく間に風はぱたりと止み、ふたたび無音の静寂が訪れた。三度、何なんだ、これは……と思った。吹いては止み、止んでは吹く奇妙な天候に、私は得体の知れない不気味さをおぼえた。