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息子が壁にぶつかったら2001年の近鉄・盛田幸妃の話をしてやりたい

文春野球コラム ウィンターリーグ2017

2017/12/26

2001年の盛田の姿を話してやりたい

 ふと思い出したことがある。大阪近鉄バファローズの盛田幸妃投手だ。私が野球を見始めた1999年のシーズン終盤、盛田の登板が話題になった。前年に発症した脳腫瘍。診断ではスポーツ選手への復帰は絶望的だったと言われていたそうだ。その手術からリハビリを経ての復帰。打者2人に投げただけではあったが、しっかり三振を取った。その光景をよく覚えている。

 2001年、高校受験を控えているにもかかわらず割と足繁く大阪ドームに通っていた私。ガンガン打つけどボコボコ打たれる大阪近鉄投手陣。そんな状態の投手陣をブルペンで支えていたのが盛田。ビハインドで出て来るようなことがあれば、あれだけスカスカだったスタンドからものすごい歓声が上がり、みんなが盛田に熱い視線を注ぐ。

 手術の影響なのか、後遺症なのか、横浜時代のようなストレートも打者をえぐりにえぐったシュートもなりを潜めていたが、それでも相手打者は手が出ない。気迫というか野球ができる喜びみたいなものを全面に出しているように思えた。そして颯爽とバッターを打ち取りマウンドを降りる姿に、別に優勝が決まる試合でもなんでもなかったはずなのに、試合における重要なポイントではなかったはずなのに、妙に感動したのを覚えている。

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 後のインタビューなどを見返すとこの頃の盛田はベースカバーに入るのが困難なほど右足がうまく動かなかったという。それを感じさせない動き。この人はどれだけ努力したんだろうか。そう、自分でもう一度自分の道を拓いたんだな。かっこよすぎる。上述したことはいわゆる「思い出補正」的なものも入っているのかもしれないが、今も心の中に残っている出来事だ。

2001年のオールスター第3戦、清原和博から三振を奪った盛田幸妃 ©時事通信社 

 息子がもし病気に悩み壁にぶつかることがあるなら、自分の体のことを呪うようなことがあるのなら、2001年の盛田の姿を話してやりたい。しっかりやれることをやったら自分の道はできていくんだぞ、と。そして横田、赤松、安達、中道のことを話してやりたい。一緒に壁を乗り越えてやりたい。息子のことに全力で向き合ってやりたい。道を拓く助けになりたい。

 まずは検査を受けるところから。また長い治療の日が始まっても、きっとなんとかなる。プロ野球選手の姿を息子に重ねて、そう信じている。息子のために全力を尽くす準備はできている。かつて見たヒーローの思い出と、今まさに戦っているヒーローの姿を見て「大丈夫だ」と自分に言い聞かせながら。

 また一緒に野球を見に行こう。マリーンズを応援しに行こう。野球を見て楽しそうにしている君を見ていると僕も幸せなんだ。だから野球場へ行こう。

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