昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

発掘!
文春アーカイブス 色あせない100年分の人間ドラマを読む

樫尾 忠雄
2018/01/13

カシオ創業者・樫尾忠雄が35年前に語った「若い従業員を伸ばす目標の立て方」

「なんで金儲けしないんだ」と言われても計算機の研究をしていた

source : 諸君! 1983年7月号

genre : ビジネス, 企業, 商品, 働き方

社長自身が一つの成功例

 麓 カシオは平均年齢30歳という若い会社らしいですけど、ご兄弟が苦労された時代の精神を彼らに伝えるのは、そう簡単じゃないでしょう。今の若い人は時代感覚が違いますから。

©文藝春秋

 樫尾 一朝一夕に、こうしろああしろといって伝わるものではないですね。まあ、私は別にして、あとの3人は今も現場で仕事をしてるんですよ。役員然としている者は1人もいない。すると彼らのスタッフも安閑としていられないから、同じような形でやる。これが次々と下に伝わっていってるのは確かですね。

 麓 いま伺った経営陣の精神を伝える際、一番むずかしいのは、「努力すれば報われるもの」ということだと思うんです。ご兄弟はそれをご両親から受け継がれたんでしょうが、今の若い人たちは、甘えられるだけ甘えるくせに、一人前だ、みたいな顔をしたがる傾向がありますからね。

 樫尾 「努力すれば」に加えて「貢献すれば報われる」でしょうね。会社のため国家のために一所懸命働くと、どういう形で報われるかというと、まず一つは、待遇とか職制の面ですね。それともう一つは、仕事のやり甲斐を与えること。男子社員の場合、人生に占める労働の時間が相当長いわけですから、仕事をやったという充実感みたいなものが残らないと、欲求は満たされないと思うんです。

 その意味でウチの場合は、絶えず目標を高く置いて、会社じゅうが活性化するようにしているわけです。目標を昨日よりも今日、今日よりも明日、という具合に高くしてゆけば、工程を変えなきゃとか、セールスの仕方を変えなきゃとか、工夫するようになるでしょう。一人一人の工夫は仕事のやり甲斐につながるし、やがては全体の活性化につながってゆく。

 麓 口で言うだけならどこの社長さんでも言えるけど、樫尾さんがそう言うと迫力あるでしょうね。社長自身が一つの成功例なんですから。

©文藝春秋

戦後の混乱期も計算機づくり

 麓 最後にお伺いしたいんですが、この3月、樫尾一族が私財1億3500万円を投じて、研究者に研究資金を助成するための「カシオ科学振興財団」を設立されました。その真意というのは、どのへんにあるんですか。

 樫尾 カシオ計算機を設立するまでに、研究期間が7年ほどあったんですよ。社会の役に立つようなものを、自分たちの製品として持ちたい。計算機にするか、他のものにするか、というわけで、7年間迷ってました。この研究期間の経済的な苦しさといったらなかったですね。銀行も何も相手にしてくれない。

 麓 それはそうでしょうね。

 樫尾 海のものとも山のものともつかない工場に融資してくれるはずがない。しかし、こういうときに国が援助してくれたらな、と切実に思いましたね。

 麓 町工場時代は何をしてらしたんですか。

 樫尾 あの戦後の混乱期、食うものもない時代に、私たちは計算機の研究をやってましたよ。しばらくして朝鮮動乱が起きましてね、特需で下請けの仕事を頼まれたんだが、「ウチではいま計算機の研究やってるから」と断って、みんなから馬鹿呼ばわりされまして……(笑)。

 麓 みんなが闇屋やってるときに、道楽やってた(笑)。

 樫尾 「なんで金儲けしないんだ。樫尾は狂ってるんじゃないか」と言われてね、そんなこともありました。

 まあ、これからの日本は技術立国でゆくしかないですね。ところが、応用技術は進んでいても基礎技術はまだまだでしょう。それに国家は、成熟した産業は助成しても、実際に困ってる企業や学者さんには冷たい。それから、樫尾という姓を持ったわれわれが何を考えていたか、社員のみんなに知ってもらえるんじゃないか、ただ私利私欲で事業をやってるんじゃないよということを、若い世代に分かってもらえるんじゃないか――そういう気持で科学振興財団を作ったんです。

 麓 どこの社会でも、頭(ヘッド)と心(ハート)とはなかなか一致しないんです。そういう意味でも、この財団の意義は大きいと思いますね。

文春アーカイブス : 記事一覧 その他特集記事