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経営の神様・松下幸之助が綴った 世界の「ナショナル」への苦難の道(前編)

経営の神様・松下幸之助が綴った 世界の「ナショナル」への苦難の道(前編)

「私が唯一苦労したのは、戦後数年間だった」その全貌とは

2018/07/19

source : 文藝春秋 1965年4月号

genre : ビジネス, 企業, 経済, マネー, 歴史

note

 ところが、9月10日、マッカーサーの日本管理方針が声明され、この方針に基づいたのであろうか、9月22日、進駐軍から、われわれにとっては思いもかけぬ生産のストップ令が出されたのである。

 これは戦争中、軍管理であった工場にすべて出されたものであるが、仕事を直ちにストップせよ、資材がいくらあるか調査申告せよ、勝手に使うことはまかりならぬ、という命令である。

 せっかく大きな意気ごみに燃えて仕事を始めたばかりなのに、突然肩すかしを食ってしまったようで、全く涙が出るほどの情けない思いを私たちは味わった。

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寝耳に水の財閥指定

 しかしそれでも私は、生産への意欲はすてなかった。直ちに進駐軍に対して民需生産への許可申請を、昼夜をわかたぬ努力をもって行なったが、それがやや見通しのついた11月3日、私は従業員の代表を一堂に集めて、再び左のように訴えた。

「終戦以来の物資の欠乏は予想以上に甚だしい。従って、日本の復興のためには、生産を早急に増大する他に途はないが、現状からしてこれはなかなか容易でないことがわかった。また増産の原動力であるお互いの生活はまこと苦しい。配給ものだけでは生活できない上に、物価はドンドン上ってゆく。全く窮迫のドン底に向かいつつあるわけである。このままなすところなく行けば、日本の経済潰滅(かいめつ)という由々しき事態に立ち至るであろう。

 だから、お互いに苦しいけれども、ここをもう一ふんばりして生産しなければならない。みなさんも辛抱して職場を離れないようがんばって頂きたい。忍苦は必ず光明をもたらすであろう。苦しさに心奪われてうろたえることなく、今こそ産業人たるの真の使命に立って、物資の増産にがんばろうではないか」

©文藝春秋

 しかし、こうしたわれわれの決意をヨソに、占領政策の全容は次第に明らかになっていった。すなわち、彼らはこの機会に日本の機構を根本的に改めようとはかり、経済の機構もまた一切あげて進駐軍の日本経営の意図に基づいて、再編成されようとしていたのである。

 そして矢つぎ早に、いろいろの法令や指令が出て、経済活動を大きく制約することになったが、私の会社もまたこれらの制約を全面的に受け、それから5年ほどの間、私たちは全く苦難の道を歩むことになったのである。

7つの法令に引っかかってしまった

 制約とは一体どういうものであったのか。まず第1が、財閥の指定ということであった。日本が戦争を始めたのは、政治家や職業軍人にも罪はあるが、経済を動かしてきた財閥にもその罪がある、従ってこの財閥を解体して、経済の再編成をしなければならない、という。

 これはまず20年の11月に始まった。この時は、三井、三菱、安田、住友の4本社が指定され、その解体を命ぜられるとともに三井、岩崎、住友、安田の四家が財閥家族として指定されたのである。

 次いで翌21年3月には、日産、鴻池(こうのいけ)、理研、古河等、10社が追加指定されたわけであるが、この末尾にどうしたことか松下電器がヒョッコリ入ってしまった。そして同年6月には、鮎川、浅野、古河、川崎、中島、野村、大河内、大倉、渋沢という明治以来のそうそうたる名門にまじって、わが松下家も、財閥家族としての思わぬ指定を受け、その活動が制限されることになった。

 次に第2番目の制約が、公職追放ということである。すなわち、財閥に関連ある会社、または軍需会社、もしくは平和産業であっても1億円以上の資本金を有する会社、これらの会社の常務以上は、全部追放ということになった。

 松下電器は、もともとは家庭用の電気器具をつくってきた平和産業であったが、戦争が急迫するにつれて、軍の要請が次々と来て、飛行機、プロペラ、造船などいろいろの軍需品を生産するようになっていた。従って、当時は約60の子会社、工場が傘下にあった。そこで当然この公職追放の枠に引っかかってしまった。

 第3に、賠償工場としての指定、4番目に持株会社としての指定、5番目に制限会社としての指定、6番目に特別経理会社としての指定、7番目には集中排除法による指定会社と、わずか1年ほどの間に計7つの法令に次々と引っかかってしまった。全く啞然とするばかりであった。