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連載オカンといっしょ

オカンといっしょ #13 Aqua(後篇)「特別じゃない、でも、忘れられない夜のこと」

ツチヤタカユキの連載小説

genre : エンタメ, 読書

「人間関係不得意」で、さみしさも、情熱も、性欲も、すべてを笑いにぶつけて生きてきた伝説のハガキ職人ツチヤタカユキ。これは彼の初めての小説である。

 彼は、父の顔を知らない。気がついたら、オカンとふたり。とんでもなく美人で、すぐ新作(新しい男)を連れてくる、オカン。「別に、二人のままで、ええやんけ!」切なさを振り切るように、子どもの頃からひたすら「笑い」を摂取し、ネタにして、投稿してきた人生。いまなお抜けられない暗路を行くツチヤタカユキの、赤裸々な記録。

◆ ◆ ◆

 閉店後の店内。ホスト達のスイッチをオフにした時の表情は、なんでこんなにも寂しそうなんやろう? ホストが提供する、ウイダー in ゼリーのような10秒でチャージできるインスタントな愛は、まるでショーケースの中に並んだ食品サンプルみたいだ。美味しそうに見せているけど、実際は食す事が出来ない偽物の愛。

 そして、ここは、そんな食品サンプルみたいな恋愛感情の墓場。

「お前いっつも、カバン、パンパンやのう? 中身、何や?」

「図書館で借りた小説とかですね」

「小説? 俺、そんなん読む奴、初めて見たわ。誰の本とか読むん?」

「サリンジャーとかですかね?」

「サリン?」

「サリンジャーです」

「……サリン?」

 最初の3文字。“サリン”というフレーズに反応して、ユリアさんの頭の中には地下鉄サリン事件の光景が広がっている。

 店を出ると、太陽が眼球を焼きに来る。一睡もせずに迎える朝は、気だるい。ゴミを漁るカラス。僕もアレと同じようなもんだ。脳みその中をひたすら漁って、いつもボケを探している。そのカラスの下には、使用済みのコンドームが捨てられていた。

「俺、昔、ここらへんに酔っ払って寝とるサラリーマンの財布、片っ端からパクって生きとってん」

 そんなユリアさんはバツイチで、前妻との間には、月に一度しか会えなくなった息子がいた。

「どこも連れて行ってあげられてへんし、何にもしてあげられてへんわ」

「ユリアさん」

「何や?」

「僕のオカン、だいぶ前にガンで入院しとったんですけど、その時に一番思い出した事って、自分でも意外やったんですけど……」

「おう」

「まだガキやった頃に、酔って帰ってきたオカンがラーメン食いに行こうって言うて、夜中に2人でラーメン食いに行った事あったんですよ」

「次の日、学校あんのに?」

「そうです。めっちゃ思い出に残ってるのって、旅行に行ったとか、何かの行事とか、そんな特別な出来事やなくて、ただ夜中にラーメン食いに行ったとかが、一番思い出に残ったりするんです」

「そうなん?」

「せやから大人は、ガキのために、特別な事をしたらなあかんとか思いますけど、別にそんなんしやんでもええんです」

「ホンマかよ」

「特別な事したらへんかったら不幸やとかも別に思わんでもええんです。最終的には、そういう何気ないのが一番残っていったりするんで」

「何やお前? 学校の先生か?」

「ちゃいますよ」

「さっきから、学校の先生みたいな事ばっか言ってきよるやん」

 その時、降り出した、突然のゲリラ豪雨。車のワイパーが、横に吹っ飛ばした雨。

 

 家の鍵を開ける。時折、いつものその行為が、人の体にナイフを突き刺して回しているみたいに感じられる時がある。

 家の中では、いつものように慌ただしく化粧をする母。

「どこ行ってたん?」

 つけっぱなしになっているテレビでは、朝のニュース番組をやっている。

「ホストのバイト」

「またか。そんなん続けとったら体壊すで?」

 母は鏡の前で眉毛を描きながら言った。

「しゃーないやろ? 今まで何個バイトの面接に落ちて来たと思っとんねん?」

 空白だらけの履歴書。そのせいで落とされ続けた面接。夜の世界に、履歴書は不要だ。だから、僕はもうそこでしか生きられない。

「もうこれしかでけへんねん」

 そうは言っても、初めてホストクラブに行く時は足が震えた。

 怖がる自分を頭の中で殺す時はいつも、線香花火を水につけた時の、ジュッていう音がする。

「もっとまともなバイトしたら?」

「まともって何やねん?」

「もっとちゃんとした……」

「おい、まだそんなん言うてんのか? 先の事なんかどうでもええんじゃ!」

 ホストの皆が老人になった時、一体どんな老人になってんねやろ?

 シャンパンコールの時の掛け声さえ、夏のセミみたいな儚い1週間だけの絶叫に聞こえた。

「明日、死ぬかも知れへんねんぞ?」

 

 明日、死ぬかも知れない。

 だからオレは今日、自分にしか残せない笑いをこの世に残す。

「人生で一番嬉しかったんは、自分のガキが生まれた瞬間やってん」

 ユリアさんの話を聞きながら、夜空を見上げた。小さな星がちらほらと浮かんでいる。全ての星たちが、銀河鉄道の線路の置き石。

「多分、アレを上回る嬉しい事なんか、もうあらへんと思うわ」

「そんなにですか?」

「そうや。俺がもし明日死ぬんやったら、自分のガキにどんだけ金残せるか考えるわ」

 大量のゲイのオッサンをフェラしまくって稼いだ金で生まれた息子。その子の事を思い返している時のユリアさんの表情。

 人はこんなにも、優しい顔ができる。

◆ ◆ ◆

つづく(※小説「オカンといっしょ」は毎週金曜17:00に公開します)