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原美術館の館長は、なぜ誰も現代美術に見向きもしなかった時代に“目利き”ができたのか

アートな土曜日

2018/01/06
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「現代美術? そんな紙くずみたいなもの集めるなんてやめなさい、破産しますよ。始めたころは、散々そんなことを言われたものです」

 笑みとともにそう思い出をたどってくれたのは、原美術館館長の原俊夫さん。1979年に現代美術専門の同館を創設以来、展示とコレクションを継続してきた。

 開館40年目となる今年は、これまでに収集してきた約1000点から厳選する「現代美術に魅せられて―原俊夫による原美術館コレクション展」で幕を開ける。

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撮影:黑田菜月

草間彌生からジャスパー・ジョーンズまで現代美術の精華が一堂に

 展示は2期に分かれ、前期は1970年代後半から80年代前半の初期収蔵品を、後期はその後に企画展開催などをきっかけに収蔵された作品を中心に構成される。

 原家の私邸だった建物をそのまま利用した館内へ入ると、いきなり黄色に輝くオブジェが目に飛び込む。草間彌生の《自己消滅》。同じ空間に身を置くだけで、作品の華やかさに感応されて気分が浮き立つ。同時に、これを創り出さずにはいられなかった作者の切迫した感情も、大きな圧力となって観る側に押し寄せる。

草間彌生「自己消滅」1980年 ミクストメディア サイズ可変 ©Yayoi Kusama

 1980年の作というから、草間彌生作品がシルバーや黒など一色で染め上げるものから派手派手しい色が現れるものへの過渡期にあたり、アーティストの変遷を知るうえでも貴重な作例だ。

 広い室内へ移ると、シンプルながらなぜか「これしかない」と思わせる色とかたちのグラデーションを持った画面に吸い寄せられた。李禹煥《線より》である。同タイプの作品を李は多数ものしているけれど、これは繊細な表現が際立つ逸品と言えよう。

 階段を上り2階の展示室へと向かえば、一角に篠原有司男《モーターサイクルママ》がどんと置かれている。等身大に近い立体作品ながら、モノとしての存在感たっぷりなせいか、やたら大きく目に映る。

篠原有司男「モーターサイクルママ」1980年 カードボード、アクリル絵具、ポリエステル樹脂 117x130x66 cm ©Ushio Shinohara

 日本のアーティスト作品のみならず、ジャスパー・ジョーンズ、ナム・ジュン・パイクら海外作家の作品も会場にはたくさん並ぶ。現代美術の精髄が集まった錚々たるラインアップだ。各アーティストの力のこもった作が揃っているのも特長といえそう。

人間に興味がある、だから現代美術のコレクションをしている

 会場の光景は、壮観のひとこと。ただしそんな感想も、いま展示されるからこそ漏れ出るもの。これらがコレクションされた1970~80年代、現代美術はまだまだ日本に定着していなかった。原美術館以前は、現代美術が常に見られる場所すらほとんどなかったのだ。そうした時代背景を考えれば、コレクションを始めた原館長が冒頭のような無理解に遭遇したのも致し方なかったのだろう。

原美術館館長の原俊夫さん 撮影:黑田菜月

 現代美術に目をつけたのは先見の明だったとして、その中でも今展に出品されているような時代を画する作品を収集し得たのはなぜか。どんな基準で作品の購入をしてきたのか。原館長は言う。

「作品の大半は、アーティスト本人と直接会って話をして、作り手の人となりを知ってから買っています。当たり前ですが、アートはアーティストという個人がつくるものですからね。アートは名刺の肩書きなど関係ない世界なのがおもしろいのであって、中でも現代美術に注目してきたのは、いまを生きる人間にこそ興味があるからですよ」

 なるほどそんな観点から選ばれた作品だから、観る側がどれもつい足を留めて見入ってしまい、内側に潜むストーリーまで読み取りたくなるのだ。

 会場を一巡するだけで現代美術の全体像を実地に知れるというのは、得難い体験。くわえて展示全体を見渡すと、稀代のコレクターのたしかな「眼」がそこに存在していることも、強く感じ取れるのだった。

原美術館の館長は、なぜ誰も現代美術に見向きもしなかった時代に“目利き”ができたのか

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