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パドレス入りの牧田和久 恩師が語る「“変化球禁止”の大学時代」

文春野球コラム ウィンターリーグ2017

2018/01/08
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原石を磨きあげることに定評

 目の前の試合を戦う中で「勝利と育成」2つのバランスを取るのは難しい。その中で「僕が自分の欲を捨てることですよね」と大島監督は言う。

 もともとは学生時代に映画の勉強をするためのアメリカ留学を真剣に考えていた大島監督は、他の監督とは異なる価値観を持っている印象がある。その教え子たちを見ても、牧田以外にも、ひと味変わった育成で原石を磨きプロに送り出している。

 佐野泰雄(現西武)には、育成としてプロに指名される可能性のあった和光高時代に「ドラフト上位指名でプロに入れる」と約束して獲得。強豪校出身ではなかった佐野には「とにかく場数が必要」と4年間で全92試合中67試合も登板させた。投球回数は実に452イニング、リーグ最多記録の30勝(24敗)を挙げてドラフト2位で西武に送り出した。

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 また川越工高時代は2番や9番を打っていた狩野行寿(現DeNA)の足を使った守備と強肩に注目して獲得。打力は低かったが「肩が強いということは、体の力を手にしっかり伝えられるということ。だから肩の強さと長打力は比例する。お前の打撃は悪くない」と意識と打撃フォームの修正を図り、2016年のドラフト7位でDeNAに送り出した(また2017年秋のキャンプでラミレス監督から野手のMVPに選ばれた)。

平成国際大の大島義晴監督 ©高木遊

さらなる想像を超えていけ

 そんな大島監督のもとで着実に成長を遂げていく牧田だったが、大島監督が当初思い描いていた理想形は「社会人で10年くらいバリバリやって“ミスター社会人”と呼ばれるような投手」だった。「まさかプロに入って、WBCで日本代表になり、今度はポスティングでメジャーなんて……まったく僕の想像外です」と笑う。

 一方でステップを1つずつ上がっていくことは理想的なものだったとも感じているという。

「大学で(ストレートのみの)高低の使い方を覚え、社会人でシュートを覚えて横幅を覚え、プロでカーブを覚えて奥行きを覚えた。1D、2D、3Dと段階を踏んで良くなることができましたよね」

 そして、牧田の良さを大島監督はもう1つ付け加えた。

「うちの大学に決めた時も、卒業後に日本通運さんに入る時もそうだったのですが、すぐに“よろしくお願いします”と返事しました。人生を左右するような決断をするのがすごく早いんです。それも成功の理由だと思います」

 行き当たりばったりではない。常に今の自分に必要なものが何かを考えてきたからこその早さだろう。

 メジャー挑戦も潔く決断し、恩師の想像をさらに超えて行こうしている牧田。そして我々の想像をさらに超える活躍を海の向こうで見せて欲しい。

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