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「劇団・星野ドラゴンズ」が大好きだった――追悼・星野仙一

文春野球コラム ウィンターリーグ2017

2018/01/09

「星野さんの肩書は一体何になるのだろう」

 1月5日。休日だった僕は近くのスーパー銭湯で長時間サウナに入りながら、プロ野球選手の「肩書」について考えていました。川口和久さんや広澤克実さんがメディアに出る時、「元巨人軍」という肩書にいつも違和感を覚えてしまうのですが、現巨人軍の井端弘和コーチがフリーになったとしても肩書は「元巨人軍」なのだろうか?

 そして、僕らにとって一番重い問題が、星野仙一さんが楽天球団副会長を辞められた後、フリーの立場では一体どんな肩書になるのだろうというものでした。本人のご意思を尊重するならば、やはり「元楽天監督」とか「元阪神監督」になるのかも知れないけど、ドラゴンズファンには、最も長くて深い愛情をもってお付き合いをしてきたのは我々だという自負がある。星野仙一さんの肩書は「元中日ドラゴンズ監督の〜」であってほしい。そんなことを考えていました。

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1988年日本シリーズ、星野仙一氏と郭源治 ©文藝春秋

ドラゴンズが一番輝いていた時代

 僕にとって最も「ドラゴンズがドラゴンズだった」と思えた時代。思い出すのは、スカッとしたドジャース型のユニフォーム、三冠王・落合博満の電撃移籍、乱闘も辞さない闘志を剥き出しにする男の集団、その先頭に立って引っ張る闘将・星野仙一の雄姿。そう、第一次星野監督時代こそドラゴンズが一番輝いていた時代として刻まれています。

 あの時代、星野さんはただ勝つ事だけを目指していなかったように思います。選手起用も、時に温情が出過ぎてしまい、敗戦に繋がった事も見受けられました。当時こそそのやり方を不満に思う事もありました。特にリリーフエースの郭源治投手が打たれた時などは「どうしてワンパターンな選手起用をするのだろう?」と思いもしました。

 だけど、ある日星野さんが「ドラゴンズの選手はみんな信用してる、でも源治は信頼してる」と言っているのを聞いて「信用は信じて受け入れる事で、信頼は信じて頼る事」だと、初めて信用と信頼の意味の違いを知り「星野さんが郭源治投手を毎回送り出す」事の尊さを感じるようになりました。

「信頼」されて送り出された郭源治投手は、日に日にリリーフエースとして揺るぎない投球をするようになり、ついに88年、胴上げ投手とMVPに輝きました。

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