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“野球がうまくなることにしか興味がない”大谷翔平は、なぜ移籍先にエンゼルスを選んだか?

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2018/01/11

▼〈大谷はなぜエンゼルスを選んだか?/記者の目〉 12月10日、日刊スポーツ・ウェブ掲載版(筆者=四竈衛)

 いくつもの球団の名前が、浮かんでは消えていった。大谷翔平のポスティングシステムによるメジャーリーグへの移籍が濃厚になると、メディアはさまざまな根拠をもとに移籍先を推測した。しかし、エンゼルスを有力候補に挙げたメディアは、数えるほどしかなかった。そんな中、MLBの取材経験が長い日刊スポーツの四竈衛記者は、「大谷に近い一部関係者の間では、常にエンゼルスの名前が消えることはなかった」と書いた。

高校時代からメジャー挑戦を決意していた ©文藝春秋

 真っ先に有力だと具体的に報じられたのはダイヤモンドバックスだった。その根拠は一人の日本人の存在にあった。元ドジャースのスカウト、小島圭市さんである。小島さんは、大谷が花巻東高校を卒業する際、高校から直接、メジャーへ行くことをいったん決意させたスカウトだ。大谷がメジャー挑戦を表明した会見でも、「高校のとき、最初に声をかけてもらったスカウトがメジャーの人だったことがきっかけだった」と語ったほど、大谷に影響を与えた存在だった。その小島さんは現在、ダイヤモンドバックスで顧問を務めている。ただ、小島さんは今回の大谷獲得には関わっておらず、それをもって有力だと報じるのは早計だった。

 最後まで有力視されたパドレスにしても、ファイターズのトレーニングコーチだった中垣征一郎さんがいるからとか、斎藤隆さんや野茂英雄さんといった日本人メジャーリーガーの大先輩がチームスタッフとして所属しているからとか、そういうしがらみが根拠になっていた。しかし、そうした理由で大谷が動かされないことを誰よりも知っていたのは、小島さんであり、中垣さんだった。

 アメリカで有力視されたのはレンジャーズとヤンキースだ。早くから大谷獲得を真剣に検討してきたレンジャーズはいち早く二刀流のバックアップを公言し、ファイターズの中からも勧める声が聞こえてきた。ヤンキース有力の報道は、大谷のことを“日本のベーブ・ルース”と報じたニューヨークのメディアが流していた。この二つの球団には潤沢な資金がある、ということが根拠になっていた。

 しかし、今回の移籍では労使協定によって25歳未満の海外でプレーする新人選手への契約金に球団ごとの上限が設定され、さらにマイナー契約しか認められないという制約があった。2年待てばその制約がなくなる大谷が、ここでメジャー挑戦を決意したことからもカネに執着していないことは明らかなのに、報道からカネの話が消えることはなかった。

昨年10月4日のオリックス戦、4番ピッチャーで先発した大谷 ©文藝春秋

 大谷が重視した条件は、代理人のネズ・バレロ氏が各球団に求めた7項目の質問を読み解けば浮かび上がってくる。

 質問は、(1)ピッチャー、バッターとしての評価(and/orの表記で、どちらかの評価でも構わないという質問形式)、(2)育成、医療、トレーニングに関する球団としての方針と能力、(3)傘下マイナー組織とスプリングトレーニングや本拠地の球場の施設、(4)大谷選手がアメリカに馴染むための球団としての用意、(5)大谷選手をどのように球団として受け入れるのかの具体的なプラン(おそらくは二刀流の起用プラン)、(6)本拠地の街、球団の魅力、(7)マーケットの特徴、という7項目(カッコ内は著者)。この中に金銭的な質問は一切、含まれていない。そのほとんどは、入団後の大谷の環境と二刀流への考え方についての質問だった。

 そもそも、野球がうまくなることにしか興味がない大谷には、金銭的条件も、誰々がいるからというしがらみも関係なかった。そうした筋道を、大谷の発した言葉をもとに辿っていけば、四竈記者が指摘するように、大谷がエンゼルスを選んだ理由は読み解けたはずだった。