あまりにも劇的な太陽が目の前に。

 私も1人の物書きなので、太陽を見る直前までは、実際に太陽を見たらどんな感想を抱くのかな~と色々と想定し、そうだこんな感想を抱いたことにしてみようみたいな、つまらぬことを正直考えていた。完全に無防備な状態で太陽を見て何も感じなかったら怖いので、太陽を見たときの感想をシミュレーションし、最低限書けることの予防線を張っていたのだ。しかし、太陽はそのようなつまらぬ打算の及ばぬ存在として、天空で燃えていた。その太陽の太陽性は、どんな言葉に変換しても、とても汲み尽くせるものではなかった。別に希望を見出したわけでもなかった。癒されもしなかった。慈しみも感じなかった。闇からの解放感もなかった。すべての言葉をはねつけ、太陽は超然と空に君臨し、質量が地球の33万倍ある単なる物体として猛り盛り、とくに意図もなく光を放出しまくっていた。そして私はそれを見て涙を浮かべていた。

 それはあまりにも劇的な太陽だった。このとき、このタイミングでしか見られない太陽だった。というのも、このときは思ったより強い風が吹き、地表付近では地吹雪がまいあがっていたのだが、それでも雪煙の高さはちょうど5メートル+-1メートル程度に抑えられており、太陽の光を遮るほど上空まで舞い上がっていなかったからだった。つまり、そのナイスな高さの雪煙がちょうどいい感じで太陽の光を拡散して、コロナの輪郭線をぼかし、太陽をよりいっそう巨大に見せる効果を生みだしていたのだ。時期的な面でも劇的な作用が生み出された。本来、極夜が明けて最初に昇る太陽は地平線から先っぽが短時間のぞくだけなので、全然迫力がなく、それまでの長い極夜というプレステージと比べて何だこれといった程度のものでしかない。カナダのケンブリッジベイで旅の途中に見た太陽は、そういうちょっと白け気味の太陽だった。ところが、このときはブリザードのせいで極夜明けから1週間近く経っていたため、太陽はほぼまんまるな、迫力満点の円球として地平線の上に全裸を曝け出していたのだ。

 すべてが想定外だった。水素爆発して、ど迫力で超絶スペクタクルを展開する太陽を見ながら、私は報われたと思った。色んなことがありすぎた旅だった。日本を出てからほぼ4カ月、村を出発してからでさえ78日が経っていた。やることなすことがすべて裏目に出て、呪われていると思うほど、まったく計画通りにいかない旅だった。闇の中では絶望しか感じず、もう二度と極地に来ることもないだろうとさえ思った。それにこの旅に費やしてきた4年間のこともあった。犬との出会いもあったし、海象に襲われた恐怖もあった。結婚して子供ができたという私生活での変化も思い出された。それら、この旅の試みの間に起きたすべてのことが、目の前の太陽の光に昇華されて明るく燃えていた。

 長い、長い暗闇の旅路の果てに昇った太陽、おそるべき嵐に耐えて見ることができた太陽、すべての準備、すべての苦労、すべての絶望、驚愕、歓喜、呆然が、この太陽を見るためにあったことを、私は知った。

 こんなすごい太陽を見られるとは思ってもみなかった。

 たしかにこのとき私は太陽を見たのだ。

©角幡唯介

『極夜行』
角幡唯介

定価:  本体1750円+税
発売日: 2018年02月09日