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武田 徹
2018/01/29

「なぜ」の答えをとことん見つけることの大切さ――新書時評

 

 戦前に刊行された吉野源三郎『君たちはどう生きるか』が漫画化されて話題だ。新書でも吉田夏彦『なぜと問うのはなぜだろう』(ちくまプリマー新書)は一九七七年刊行の哲学入門書の復刊となる。

 若い人向きに企画された両書は、難解な言い回しに逃げない真摯な筆致が評判となって、大人も含めた幅広い読者を得た。そんな二作が今回、別の表現形式で復刊されたのにはそれぞれ理由がある。「どう(How)」は行為を問うがゆえに「絵」になる。漫画化は読者の裾野を更に広げよう。一方「なぜ(Why)」は言葉で問われる必要がある思弁活動だ。こちらは入手の易い新書へと装いを新たにし、平明な言葉と論理を改めて老若男女に広く届けようとしている。

 吉田は、自分が歩き回れる範囲を超えて拡がることに人間の好奇心の特徴があると書く。原子や分子の世界について、人類発生前の地球の様子について……。そして好奇心は、生の果てまで辿り着いて、人はなぜ死ぬのかと問いかける。

 確かにそれは古今東西の人を捉えた問いだった。川合康三『生と死のことば』(岩波新書)は、死を思い、死を視野に入れて生を省みた中国のいにしえの哲人・詩人たちの言葉を網羅する。白居易は「人生、幾何も無し、天地の間に寄するが如し」と生の儚さを詠み、老子は「死して亡びざる者は寿なり」と肉体の消滅を超えて魂において永遠に繋がろうとする生き方を夢見た。

なぜ私たちは生きているのか』(平凡社新書)で舞台は一転して西欧近代に移る。プロテスタント神学を学んだ佐藤優、シュタイナー人智学研究者の高橋巖の対話は、ナチスの支配や「プラハの春」でソ連の軍事介入を経験したチェコ人神学者フロマートカを巡る。彼の自伝『なぜ私は生きているか』を外務省勤務時代に訳していた佐藤によれば、フロマートカは絶望的な現実こそ神学のフィールド、宗教の生きる場所と考えたという。

 絶望の深淵に落ちてこそ人は目に見えない世界に触れ、生の意味が与えられる。そう考えたフロマートカ神学の門を叩いてみるもよし、永遠の時空を夢遊する老子の脱俗の境地に接して心洗われるもよし。新書の世界では「なぜ」の問いへの応答が数多く試みられている。なぜと問うのはなぜなのか。月並みを承知で、それは私たちが人間だからだと言いたい。問いと応えを敢えて手近に提供する新書は、効率化を優先させて「なぜ」の問いを隠蔽し、根源的思考を奪い始めている時代と社会の趨勢に対して、静かに反攻の狼煙をあげているのだ。

なぜと問うのはなぜだろう (ちくまプリマー新書)

吉田 夏彦(著)

筑摩書房
2017年11月8日 発売

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生と死のことば――中国の名言を読む (岩波新書)

川合 康三(著)

岩波書店
2017年10月21日 発売

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