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連載オカンといっしょ

「東京に行くわ」

 少しだけ沈黙が流れてから、「行ってきなさい」とオカンは言った。自分の子どもを送り出す時の親って、どんな気持ちなんやろう?

 上京する日、泣く姿を滅多に見せなかったオカンが泣いていた。

「泣くなや」

 つられて泣きそうになったから、涙腺を密閉するみたいに必死でこらえた。目が悪い僕とは対照的に、視力がずっと良かったオカンにはいつも世界がはっきりと見えていた。

 オカンの目に、今までのオレはどんな風に映ってたんやろ?

 泣いている時に見える景色。人の輪郭が揺れて、振動している。オカンは今まで、オレにバレへんように、オレの知らん所で何回泣いてきたんやろ?

 カタツムリが這った後みたいに、頰がその水滴で湿っていた。全ての人がこんな風に、親を泣かせて上京して来んのかな?

 人混みの中に溶け込む、一つの色彩に変わる。この一つ一つの色彩が、全てそうだとしたら、この景色は全部、愛の亡骸みたいな風景。

 誰も居ない所にも透明人間がぎゅうぎゅう詰めになっているみたいに、息苦しい。

 足のサイズは29cmで、靴屋にほとんど在庫が無い。その足が踏みしめる地面の下。地下鉄がたくさんの命を乗せて走っている。

 電車の中で立ち上がると、中吊り広告が頭をかすめる。この世の全てが、自分よりもワンサイズ小さめに設定されている。いっつもちょっとはみ出しとるから、この世におったらアカン人間って言われてるみたいや。

 手で目をこすったら、世界がぼやけて振動していた。今も血液が、体内を猛スピードで循環している。その音が聞こえないから、生きているって実感がわかない。生きているって実感を得られるのはノートにネタを書いている時だけだ。その時だけは、血液が体内を流れている音が聞こえてくる。

 たまたま座った、公園のベンチすら固い。全ての物が攻撃してくるみたい。ベンチでネタを作り、空を見上げた。青空がどこまでも果てしなく続いていて、その空の高さは、どんなに巨大な人間も存在していいって事を表しているみたいだった。

 

 いつしか血便が出るようになった。全ての生き物の姿は、魂の容れ物に過ぎない。その容れ物が、たまたま人間の形をしていただけだ。

 家賃5万円の東京のアパートみたいに、僕はこの姿を間借りしているだけだ。その容れ物を壊してしまった。誰も住めない事故物件に、自分を変えていっている気がする。

 目の前の信号が赤から青に変わる。体内の血液もそれに連動して、青色に変わる。次にトイレをした時はきっと、青色の血便が出て来るだろう。

 こんなにも寂しい街。きっと、この街の片隅では今日も誰かが泣いている。

 便所を流した時に流れて来る水は全て、今日誰かがこの街で流した涙なのかもしれない。

 そのトイレの個室の中に、夢を見ていた自分を置き去りにして、大阪に帰った。

◆ ◆ ◆

つづく(※小説「オカンといっしょ」は毎週金曜17:00に公開します)