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「個」が消え、(笑)が残る

楠木建の「好き」と「嫌い」 好き:笑/嫌い:(笑)

2018/01/23

笑う門には福来る

 あくまでも個人的な好き嫌いの話として聞いていただきたい。

 動物は笑わない。『ナショナル ジオグラフィック』の記事によると、現在までのところ動物でも類人猿とラットは「笑う」らしい。しかし、これは「くすぐり実験」の結果として分かったことであって(心理学者や動物学者の中には、いろいろな動物をくすぐるのを仕事にしている人がいるのである。これはちょっと笑える)、人間の笑いよりもはるかに原始的な反応である。

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 笑う。それはきわめて人間的な行為であり、人間を人間たらしめているもののひとつだろう。生まれてしばらくの間、赤ちゃんは無表情である。僕の娘も、生まれてすぐの頃は眠っているか、起きていても泣いている以外のときはまったくの無表情だった。考えてみると、まとまった時間ずっと無表情でいる人を見る機会はあまりない。人間の無表情が新鮮だった。そのうち微笑むようになり、さらには声を出して笑うようになる。そうすると一気に人間らしくなってくる。その娘もするすると成長し、いまでは酔っぱらって人に毒づくなど、高度な人間感情を発揮するようになった。

 笑いが嫌いな人は滅多にいない。笑う門には福来る。「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ」というのは本当だと思う。声を出して笑わなくても、とりあえず口角を上げてにっこりすると自然と機嫌がよくなる。自分だけでなく、他人も気分がよい。笑いは実にいい。

「哀」の笑い

 喜怒哀楽の4つの基本感情のうち、笑いという感情表現と親和性が高いのは、言うまでもなく喜と楽である。ベイスターズの日本シリーズ出場が決まったとき、僕は嬉しくて笑った。BluedogsのライブでGrand Funk Railroadの名曲「Rock 'N Roll Soul」をやったときはあまりに楽しくて終始笑いが抑えられなかった。

 個人的にスキなのが「哀の笑い」である。ネガティブな局面でも人は思わず笑ってしまう。喜や楽の笑いよりもコクがある。

 先日、晴天の中気分よく犬の散歩をしていたときのこと。道路の段差に気づかずグキッと足をくじいてしまった。寒かったので両手を上着のポケットに入れていたのが不幸中の不幸で、転んだときにうまく手をつけない。まったくの平たいところなのに、バランスを崩して漫画のようにゴロゴロと数メートルも転がってしまった。くじいた足首がヒジョーに痛く、しばらく路上にうずくまってひーひー言うほかなすすべがなかった。ところが、自然と笑いがこみ上げてきて止まらなかった。自分の間抜け振りが可笑しかった。

 これは身体的な怪我というあからさまな「哀」の例だが、精神的にネガティブな状況での笑い、これはひときわ味わい深い。仕事に失敗したとき、勝負に負けたとき、物事が思ったように上手くいかないときに思わず出てくるニヤリ。これがイイ。

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 僕はこれがわりとスキで、そういう局面では半ば意識してきっちりとニヤリと笑うようにしている。「チキショー、上手くいかねえなあ……」とか呟きながらニヤリとすると、何ともいえない「ビバ!人間」感につつまれる。そのうちに失敗をニヤリと笑って受け止めるのが愉しみになってくる。そろそろ何かでしくじらないかな……と失敗が楽しみになってくるほどだ。