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山内 宏泰
2018/01/24

芥川賞受賞・石井遊佳インタビュー「インドで開花した”笑わせてなんぼ”の関西人精神」

「書くことは私の『業』です」と語る作家の素顔

genre : エンタメ, 読書

 受賞の知らせを受けて、まずしたことは? そんな問いかけに、

「踊りました」

 と、ひとこと。すわ、歌って踊る作家の誕生か。受賞記者会見でのそんな受け応えで大きなインパクトを残したのが石井遊佳さん。インドを舞台にした小説『百年泥』で、第158回芥川賞を受賞した。

 ただし、会見の場に本人が姿を現すことはなかった。作品の主人公と同じくインド、タミル・ナードゥ州の州都チェンナイに暮らしており、電話回線をつないでのやりとりに留まった。

好きな作家は開高健、ガルシア=マルケス、セリーヌなど。
「インドの職場にも彼らの本はすぐ手の届くところに置いてあって、休み時間にパラパラと拾い読みしたりします。何度も読んだというレベルではなく、すでに作品が内面化されてしまっている感じです」

夫といっしょに、しばらく踊っちゃいました

 後日帰国した石井さんに、知らせを聞いたときのあらましをもう少し詳しく伺うと、こういうことだった。

「受賞するかどうかの連絡が入るのは、こちら(インド)の時間で昼下がりだと聞いていました。その日はまず朝からふつうに会社へ行って、昼ごはんを食べたあと、少しのんびりした気分で過ごしていました。会社はIT企業で、社員に日本語を教える仕事をしているんです。

 15時過ぎに携帯電話が鳴って、受賞のご連絡をいただきました。職場では同じ仕事をしている夫とふたりで一室が与えられていて、彼も部屋で仕事中でした。なので、通話中にくるっと振り向いて、片手でVサインを出して、受賞したことをまっさきに知らせました。

 電話を切って、『ひゃーっ』と少し声を上げながら、しばらく踊っちゃいました。あ、夫といっしょに、です。私たちふたりのデスクしかない部屋なので周りに迷惑はかけないはずですけど、窓は大きくとってあって、同じフロアから私たちの姿ははっきり見える。

 職場の人たちは、かなり不思議だったんじゃないですかね。『あのふたり前からヘンだったけど、とうとう……』なんて思われたかもしれない(笑)」

 なるほどそういえばインド映画では、何かしら感情が動いたとき人がすぐに歌い踊る。あのノリと同じ?

 

「いえいえ、そういうわけでもないんですけど。あれはあくまでフィクションでしょうし、私の住んでいるところはインドらしさが薄めの、ごくふつうの都市です。それに私自身、インド映画ってあまり観たことがない。もう3年ほどインドに暮らしているとはいえ、バラナシあたりに滞在している人のようないわゆるインド・ファンではなく、インド文化にとくに詳しいわけでもありません」

 とはいえ、今作はチェンナイでの暮らしを題材にした。同地で日本語教師をしている主人公は、百年に一度といわれる規模の洪水に遭遇する。それでもなんとか通勤しようと橋を渡ると、濁流で堆積した泥からいろいろなものが引きずり出されてきて、不思議なことが次々に起こる。これは実体験から発した小説なのだろうか。

「そうですね、2015年にチェンナイで大洪水があって、私もそれを経験しました。しばらく家から出られず、ようやく水が引いたので会社へ行こうとしたら途中の橋で立ち往生してしまった。その出来事をもとにしています」

 川辺に泥がたまって橋には人があふれ返り、においもすごいという様子が、作品ではひじょうに生々しく描かれている。

「泥の描写なんかは自分の目で見たものが生かされていますね。小説に書いたほどではないけれど、いろんなにおいも立ち上っていましたし。きれいなものも汚いものも混ざり合った水が数日街を浸すのですから、それが引いたあとは何ともいえないにおいが漂いました。深く印象に残ったので、描写に反映されているのだと思います」

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