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“喧嘩最強”夏木陽介さん死去「喧嘩はしない。だって殺しちゃうもの」

パリ-ダカールラリーに出場していた頃(1986年撮影) ©共同通信社

 俳優の夏木陽介が1月14日、腎細胞ガンのため亡くなった。享年81。

「明大在学中にスカウトされ東宝に入社したが、本人は軽い気持ちだったという。物怖じしない性格が映画界の水に合ったのか仕事は順調。黒澤明監督の『用心棒』(1961年)に起用され、役者としてやっていく気持ちが固まった」(ベテラン映画記者)

 作品の内容より、監督との人間関係を重んじて出演する男気気質。

「結果的に時代劇から現代物まで幅広い役をこなせる俳優になった。爽やかさと野性味を併せ持つ夏木は、2年後輩の加山雄三(80)とはライバルとされ、2人の確執がよく喧伝されたものです」(同前)

 映画が斜陽になるとテレビに移行。学園ドラマの先駆け「青春とはなんだ」で熱血教師役、「Gメン'75」では警視役として活躍した。一時、三船(敏郎)プロに所属していたが、後に独立して夏木プロを設立し社長を兼務。賀来千香子(56)らが所属していた。

「本業と同じくらい注目されたのが趣味の自動車。買った車は100台超。好きが高じてパリ-ダカールラリーに2年連続出場したのをきっかけにチームを結成。総監督となって名ドライバー篠塚建次郎を擁し2位に入ったこともあった。79歳の時に夢を聞かれ、『自分の誕生年に製造されたクラシックカーでパリ~北京間を1カ月かけて走るレースに出たい』と語ったほど、情熱は晩年まで衰えませんでした」(同前)

 私生活も男気そのものだった。元東宝関係者が話す。

「昔は派手に飲み歩くのがスターの証。夏木は盟友・佐藤允(故人)とよく飲んでいましたが、ピンクやオレンジなどの服を着こなすダンディーな反面、酔っ払いに絡まれても睨みを利かせるだけで追い払うほど腕っぷしは強かった。以前、番組で語った『喧嘩はしない。だって殺しちゃうもの』も冗談に聞こえない、喧嘩最強の役者でした」

 生涯独身を貫いた。

「賀来や星由里子(74)との噂があった程度で、仕事と趣味に生きた男。テレビで『俺と同じ性格の子が生まれてきたら困る』と語っていましたが、本音は家庭を持つことで自由が利かなくなるのが嫌だったのでは」(同前)

 やりたいことだけをやってきた、稀有なスターだった。