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連載近田春夫の考えるヒット

五木ひろしの新曲を耳にして阿久悠の思い出でしみじみ――近田春夫の考えるヒット

2018/01/31

『恋歌酒場』(五木ひろし)/『いごっそ魂』(三山ひろし)

絵=安斎肇

 よく演歌は「日本のこころ」とかいわれるけれど、考えるまでもなく、その歴史自体はそれほど古いものでもないだろう。ま、源流と呼べば呼べぬこともないような音楽が、かろうじて明治時代にあったかどうか? おそらく今我々が、演歌といってアタマに浮かべるようなイメージのものは、昭和より前にはなかった筈である。

 などなど、果たして演歌が国体(?)とそこまで密接な関係にあるのか、その根拠はどこにあるのかといった議論はさておき、親和性というのなら、日本のこころっていわれて別にそんなに嫌な感じしないのよね演歌。ウーム、やっぱりなにかを上手くいいあててるのかなぁ……。あっ日本のじゃなくて“日本人のこころ”でしたっけ?

 それはともかくとして。

 いつも不思議に思っていたことがあった。演歌といって、音楽構造にしろ使用される楽器にしろ、現実、ポップスとまず変わらない訳である。実は演歌にはその“ならでは”の様式的特徴はあまりないといってよい。

 なのだが、演歌とポップスの間には、何か厳然と二者をわけるものがあるような気もするのである。

 今週は二枚、演歌の新譜が送られてきた。それらを聴くうちに、今述べていた、まさに演歌とポップスをわけるものがなんだったかが、俺は急にわかっちゃったのだった。

 歌唱法というのか発声というのかはともかく、演歌とポップスでは、ノドの使い方が全然違うではないか! あの演歌一般に備わる、いかにも演歌然とした印象とは、楽曲/作品によるところもあるだろうが、何より歌い方、声の力が大きいということに、俺は今週気付いたのである。

 そしてその独特なノドの使い方には、なるほど――コブシまわしひとつとってみても――端唄小唄などなど、あるいは浪花節などとも通ずる部分がある。それはなにより日本語で歌うことにしか用いえぬ技法であろう。

 そこで冒頭の“こころ”の問題になる訳だが、あれは歌の内容が胸に響くとか精神論ではなく、むしろフィジカルな意味で演歌は日本人にフィットするってことなのかも?

恋歌酒場/五木ひろし(FIVE'S)没後10年を機会に再評価の波の高まる阿久悠。その未発表詞を用いた新作だ。

 おっと。曲のことを書くスペースがなくなってきた。五木ひろしの方は阿久悠の未発表詞が話題だが、もうパッと耳にするだけで、阿久悠の世界が目の前に広がってくる。

 いや、聴くうち、俺にしては柄にもなく、若干おセンチにもなり、生前の阿久悠さんのことがあれこれアタマに浮かんできてしまい、まだ自分がうんと若僧で生意気だった頃から、いつもホントに優しくしていただいていたなぁと。しみじみしてしまった。

 時に、今のこんな時代を、阿久悠はどんな景色で描くんだろう。いつも俺はそう思う。

いごっそ魂/三山ひろし(日本クラウン)3年連続紅白出場で勢いにのる若手演歌歌手。出身地高知の英雄龍馬を歌いこんだ。

 三山ひろし。

 これぞまさに絵に描いたような演歌的歌唱である。そして、そういうものとして、大変見事な披露ぶりでもある。

今週の腰まわり「最近、水泳を再開して、週5日、クロールをゆっくり1時間泳いでいるんだよね。クロールって全身を使うじゃん。有酸素運動だから、もう目に見えて体脂肪が減っている。少なくとも飲んでいるビール分は確実に落ちているね」と近田春夫氏。「ズボンのサイズが一回り昔に戻ったこの嬉しさを誰かに伝えたくてさ。ここで報告しとくよ」