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自分が患者になったことで実感した、医療の驚くべき進化 医者が体験した「治る治療」

2018/05/03

 社会人が病気になったとき、まっさきに考えるのは仕事のことです。私の場合も、大学の講義や会議があり、雑誌の連載があり、講演の予定もずいぶん先まで埋まっています。周囲にできるだけ迷惑をかけないように、これらを整理しなくてはいけない。そのためには、ある程度の時間が必要です。

 この40年で医療現場も大きく変わり、ステージがⅢ期のbでも、決してあわてて入院する必要はなくなっています。9月26日に診断を受け、すぐ入院しないといけないのかと思ったら、手術は1カ月先の10月25日に決まりました。入院したのは手術前日の24日だったことにもビックリしました。手術に必要な検査は入院までにすべてすませてしまうのです。

 おかげで講演をいくつかキャンセルしただけで、大学の講義はできるものはやり、それ以外はこれまでの講演などの映像を編集して、それを流せば一コマになるようなものを作ることで対応できました。

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 これは後ほどもう一度お話ししますが、他の病気、たとえば心臓病や脳梗塞などと比べて、がんは仕事をしながら治療も続けられる、そういう病気であることをこのとき実感しました。

 そしてうれしいことに、4半世紀前に書いた「告知をためらう時代は終わった、これからはインフォームド・コンセントの時代だ」という主張は、現在の医療現場では当たり前のように行われていました。

声を失ったときに備えて……

 まず、治療法としては外科手術、放射線治療、抗がん剤治療の3つがあるが、私のがんは遺伝子レベルで検査したところ、抗がん剤が効かないタイプであること、そして放射線で患部を叩いてから手術する選択肢もあるが、その場合、組織がもろくなって手術に影響が出る可能性があるから、放射線は手術後がよいのではないかということ、さらに中咽頭という場所からして、術後の影響として呼吸、食物の嚥下がうまくいかなくなる恐れがあり、声帯をとることになれば発声に影響が出ることなどを、淡々と説明されます。

 声帯をとるかどうかは五分五分ということでした。とった場合、電気式人工咽頭という、マイクのような機械をのどにあてて、話をすることになります。

 それは決して気分のよい話ではありません。しかし、これから自分を待ち受ける運命について、きちんと説明を受けることは大切です。私は手術を選びました。

 おかげでこんなこともありました。治療法を選択し、家族にも説明すると、息子からこんな提案があったのです。息子はコンピュータを使って音楽をつくる仕事をしていますが、今のうちに私の声をCDに記録しておいてはどうかと。若い人たちに人気の「初音ミク」というボーカロイドがあります。歌詞と音符を入れてやると、若い女性の声でそれを歌ってくれるらしいのですが、今、そういうソフトはどんどん進化しているから私の声をサンプリングしておけば、もし声を失っても、パソコンを通じて、自分の声で喋ることができるかもしれないというのです。そこで4時間かけて、CDに声を吹き込みました。

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 幸い、声帯はとらずにすみ、リハビリをして、今では術前と変わらずに話をすることができますが、息子の思いやりには感謝しています。

 声帯はとらずにすみましたが、のどの一部を切除するわけですから、筋肉の一部はとらざるをえません。呼吸や嚥下をこれまでどおりするためには、どこかから筋肉を切り取って移植する必要があります。

 ある日の検査で、医者が私の太ももに慎重にエコーをあてているので、

「のどの血管と太さがぴったり合う血管を探しているんでしょ?」

 と聞くと、医者はにっこりうなずきました。太ももの筋肉をのどに移植するうえで、手術を円滑に行い、予後をよくするためには、血管がぴったり縫合されることが重要です。以前なら手術の最中にチェックしていたことが、いまでは手術の前に調べることができるのです。少なくとも、そういう部分で、がん治療は画期的に進歩しているのです。