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追悼・片平晋作 大洋を支えてくれた一本足打法よ、永遠に

文春野球コラム ウィンターリーグ2017

2018/01/30
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新しい波が生まれた一年

 片平は87年開幕戦でポンセの後ろに座り、いきなり決勝弾となる先制2ランを放つ。しかも試合後には「先制打は絶対に僕だと思っていた。去年も開幕戦で本塁打したが、ことしもやるよ」(87年4月11日付朝日新聞より)なんて頼もしいコメントまで残してくれた。西武時代は物静かな印象があったが、さすがは日本一チームの主力。新入団ながらもチームを引っ張ろうとしているのが嬉しかった。

 しかし、いくら古葉が監督になっても当時の大洋はそう簡単に勝てない。4〜5月は4位、5位を行ったり来たりで、阪神が開幕から負けまくっていたおかげでなんとか最下位を免れている体たらく。外国人の扱いもチグハグで、前年14本塁打ながら守備、走塁面の貢献度も高かったローマンがいるにも関わらず、長打力を求めてメジャー148発のレスカーノを獲得。その大物はわずか1カ月足らずで「自信がなくなった」とあっさり引退。レスカーノ入団で外国人枠を外れ、二軍落ちしていたローマンはプライドを傷つけられてとっくに退団済み、というトホホぶりを露呈していた。

 そんな状況にあってポンセと共に好調の片平は打線の頼みの綱だった。一緒にやってきた永射は全盛時のようなキレはなかったが、クロマティらセの強打者との対戦にはワクワクさせられた。新浦はローテ入りして完封ショーを繰り広げた。片平と同じく古葉人脈で獲得した元南海の池之上格は打席で粘り強さを見せ、元広島の堀場英孝も打撃好調で一時期正捕手獲り。正遊撃手に抜擢された新鋭、高橋雅裕はまさかの猛打ぶりで4月末から約2週間打率トップに躍り出た。87年の大洋は、勝てないながらも移籍組や若手を中心に新しい波が生まれた一年だったのだ。7〜8月は20勝15敗1分け。このチームにしては夏場は強かった。

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打線の頼みの綱だった片平 (1987年5月27日付朝日新聞より)

 片平は移籍1年目に打率.298、13本塁打を記録。38歳の5番打者として十分な数字である。88年はパチョレックの加入で代打に回り、89年限りで引退。その後は西武の首脳陣、フロントで長く活躍し、2013年には女子野球チーム、イースト・アストライアの初代監督も務めた。また解説者としても選手を貶さない語り口で人気が高く、BS朝日でライオンズ戦中継を見ていると、どの選手に対しても愛のあるコメントをしていてホッコリさせられたものだ。

 昨年の永射保さんに続き、片平さんも若くして鬼籍に入られてしまった。2人とも短い間とはいえ、大洋に貢献してくれたことを忘れない。

 片平さん。どうか安らかにお眠りください。

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