昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

草刈正雄さん、北九州市を語る「いまでも僕のなかにはあの街の風景が……」

「市制55周年 GO!GO!北九州市」特集

1963年、門司・小倉・若松・八幡・戸畑の5つの市が合併して、九州最初の 100万都市・北九州市が誕生した。それから55年、北九州市はさらなる未来へ!

いまでも僕のなかにはあの街の風景が……。

 僕が生まれ育ったのは北九州市の小倉という街だ。

小倉には子ども時代の思い出がつまっている。友だちと遊んだ路地、母のお使いで買い物に行った商店街、練習に汗を流した野球のグラウンド、そして夏の到来を告げる小倉祇園太鼓の響き。そのひとつひとつを僕はいま懐かしく思い出す。

 早くに父を亡くし、母一人子一人だった僕は一刻も早く自立したくて、17歳で故郷を離れ、東京へとむかった。以来半世紀近く、俳優として前だけを見て歩み続けた。

 そんな僕に故郷を振り返る余裕はなかなかなかった。それが、ここ10年、北九州が無性に恋しい。僕が帰るべき場所はそこだとあらためて感じるようになった。

 北九州市が誕生して55年。それは僕の人生の歩みと重なっている。

市制55周年アンバサダー
草刈正雄


北九州市 市制55周年記念スペシャルトーク

官営八幡製鐵所の東田第一高炉(八幡)
[写真提供:新日鐵住金(株)八幡製鐵所]
官営八幡製鐵所の東田第一高炉(八幡)
[写真提供:新日鐵住金(株)八幡製鐵所]

―― 今回、北九州市の市制55周年アンバサダーを務められるそうですね。

「あっ、来たか」という感じです(笑)。僕は17歳で故郷を離れて以来、ずっと東京で仕事をしてきましたから、北九州に帰ることはもうないだろうなと思っていたんです。ところが不思議なことに、歳を重ねるにつれて、無性に故郷が恋しくなるんですよね。僕も10年くらい前、五十代半ばを過ぎた頃からそうなりました。ですから、今回アンバサダーのお話をいただいて、すごく光栄なことだと思っています。

―― 草刈さんが生まれ育ったのは、小倉だそうですが。

 5市合併で北九州市になりましたが、僕が小さい頃は小倉市でした。中島小学校がある昭和町、あのへんを転々していました。父は僕が生まれる前に亡くなったので、母と二人借家住まいだったんです。小さい頃はやんちゃだったみたいですね。バービーという愛称だったんですが、「おたくのバービーちゃん、つないどいて」って、よく近所の人に言われたと母から聞かされました。そういえば、バットを持ったおふくろに追いかけられたこともありました。きっと、いたずらが過ぎたんでしょうね(笑)。

門司港夜景(門司)
門司港夜景(門司)

―― 子ども時代の思い出は?

 子どもの頃は、友だちとパッチン(メンコ)やダンチン(ビー玉)で遊びましたね。それぞれ手持ちのパッチンを積み上げて、その山に向けて自分の手札、チュンというんですが、それを投げて刺すんです。で、一枚ピュンと抜けたら、相手のパッチンをごっそりもらえる。勝負師ですよ(笑)。自分のチュンにロウを塗ってピカピカにして、うまく刺さるようにいろいろ工夫しました。

 あの頃、子どもの遊びも荒っぽかったですね。コマにしても、オーバースローで投げるんですよ。回ってる相手のコマめがけて自分のコマを投げおろし、それを割るんです。割られたやつは相手にコマを一個差し出さないといけない。馬乗りにしても、馬のお尻になったやつは飛び乗ってくる相手を蹴っていいという“蹴り馬”でしたから。毎日、近所の友だちと遊んでばかりいましたよ。それと、忘れられないのは小倉祇園太鼓。祭りが始まる一ヵ月くらい前から、練習のために町内ごとに太鼓が出るんですよ。町内の人間だったら誰でも叩いていい。それが楽しみでね。夏になると、よくそれを叩いて遊んでいました。

若戸大橋と煉瓦建築(若松・戸畑)
若戸大橋と煉瓦建築(若松・戸畑)

―― お母様とどこかに遊びに行った思い出というのは?

 おふくろは映画が好きで、よく映画館に連れて行ってもらいました。それも東映の時代劇。あの頃の時代劇の役者さんって、台詞回しから何から、みんなすごく個性的じゃないですか。自分が時代ものをやっていると、あの頃の記憶がよみがえってきますね。『真田丸』で昌幸を演じたときも、この台詞回しは中村錦之助さんだった!そういうのはありましたね(笑)。

―― 北九州を離れて、上京したいきさつとは?

 母一人子一人でしたから、早く自立したい、社会に出たいという気持ちが強かったですね。高校も定時制に通って、昼間は工場で働いたり、雑誌の訪問販売をやったり、文房具の配達をやったり。それで学校の授業を4時間やって、その後、軟式野球をやっていたから2時間ほど練習して、さらに深夜、スナックで皿洗い。そんな生活を数ヶ月やりましたけど、苦にならなかったですね。若かったからかな。そのスナックのマスターが「正雄は見てくれがいいから、モデルになったほうが稼げるかもしれないよ」と、東京のモデル事務所を紹介してくれたんです。それが高校2年のときでした。

小倉祇園太鼓(小倉)
小倉祇園太鼓(小倉)

―― お母様は反対されませんでしたか?

 おふくろは「あんたの好きにしていいよ」と。ほんとは行かしたくなかったと思うんですよ、さびしくなるから。でも、男まさりの気丈な人でしたからね。出発の日も、見送りには来ませんでした。それで、単身上京したんですけど、最初は心細くて。事務所がアパートを用意してくれていたんですが、上京1日目は寝具が届いていなくて、渋谷のホテルに泊まることになったんです。ホテルの部屋に一人でいると、さびしくて、さびしくて。真剣に「帰ろう」と思いましたね(笑)。それから2年くらいして、北九州から東京におふくろを呼び寄せたので、小倉に帰る機会もめっきり減ってしまいました。でも、最近、北九州が恋しくて仕方ないんです。自分が通っていた学校。遠足で行った足立山。おふくろがよく買い物していた黄金市場。そんな懐かしい風景が自然と頭に浮かんできます。自分が帰る場所は、やっぱりあの街なんだなぁと、いまあらためて思います。

―― 市制55周年アンバサダーとしての抱負をお願いします。

 僕自身そうなんですが、北九州の人間というのは照れ屋で、口下手なんです。だから地元の良さをなかなか伝えきれていない。市制55周年アンバサダーを拝命したこの機会に、僕も北九州の魅力を積極的にPRしたいと思っています。

北九州市制55周年アンバサダー 草刈正雄
スーツ:HARRYTOIT/ネクタイ:K.H.Collection/photograph:Hayato Araki/hair&make:Norio Kitamura/styling:Hiroto Akashi (Calledge.Co.Ltd)/design:Better Days
北九州市制55周年アンバサダー 草刈正雄
スーツ:HARRYTOIT/ネクタイ:K.H.Collection/photograph:Hayato Araki/hair&make:Norio Kitamura/styling:Hiroto Akashi (Calledge.Co.Ltd)/design:Better Days

*草刈さん着用のスーツは、江戸時代から豊前小倉(北九州市)の地で、武士の袴や帯として織られてきた「小倉織」でつくられたものです。
 

草刈正雄/俳優。1952年福岡県小倉市(現・北九州市)生まれ。17歳で上京、70年資生堂専属モデルとなる。74年『卑弥呼』で映画デビュー。同年『沖田総司』で製作者協会新人賞を受賞。その後も映画、ドラマで活躍する。2016年NHK大河ドラマ『真田丸』では真田昌幸を演じ、その演技が高い評価を得た。

衣・食・住・自然……魅力あふれる北九州市をもっともっと応援したい。各界著名人の方々からメッセージが寄せられています。


◆「市制55周年 GO!GO!北九州市」特集