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『点と線』は本当に松本清張の代表作なのか? 北村薫×有栖川有栖

本格ミステリー作家が語りつくす“清張マジック”

『点と線』は本当に松本清張の代表作なのか? 本格ミステリー作家ならではの視点で語りつくす清張マジック。

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中学生の頃『点と線』を読んで激しい憤りに駆られた

北村 今日は有栖川さんと、本格ミステリー作家同士、どうしても『点と線』の話をしたかったんです。というのも、今では松本清張は素晴らしい作家だと思っていますが、中学生の頃に初めて『点と線』を読んだ時は、激しい憤りに駆られましてね。

点と線―長篇ミステリー傑作選 (文春文庫)

松本 清張(著)

文藝春秋
2009年4月10日 発売

※文春文庫版では有栖川有栖さんの解説が読めます!

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有栖川 最初から飛ばしますね(笑)。

北村 貸本屋に行ったら『点と線』があったんです。刊行時からかなり話題になっていて、タイトルは知っていましたから、これがあの『点と線』か、と思って借りてきました。僕はその頃から、鮎川哲也先生の作品をはじめとしたミステリーを結構読んでいた“本格小僧”だったんです。それが、『点と線』を読んで、生まれて初めて、読んだ本を叩きつけたくなりましたよ。貸本でしたからそんなことはしませんでしたけどね(笑)。

有栖川 私も中学生の時に初めて『点と線』を読んで、その時は、やはりがっかりしましたね。私も当時から本格ミステリー好きでしたから、ミステリーというのは華麗なるトリックと謎解きが真髄だと思っていた。でも、『点と線』にはそれがなかった。なのに、これが日本を代表する推理小説のように語られることにやりきれなさを感じたんです。ですから、文春文庫の『点と線』に解説を頼まれた時は、数奇な運命に鳥肌が立ちました。中学生の時の自分に「お前、将来ミステリー作家になるぞ」と言っても「エッ、ほんと?」かもしれないけど、「将来『点と線』の解説を書くぞ」と言ったら「ふざけるな!」って、信じないと思います(笑)。

あの有名な〈空白の4分間〉に納得がいかなかった

「松本清張が描く闇の記憶というのは、読む者に、何か深いものを感じさせるんです」北村薫さん ©山元茂樹/文藝春秋

北村 『点と線』の筋を説明しますと、汚職事件の渦中にある某省課長補佐・佐山と、赤坂の料亭で女中として働いていたお時が、福岡市の香椎海岸で並んで死んでいるのが発見される。情死だと思われたが、それに地元の老刑事が疑問を抱いて――というもの。で、私がなぜそんなに憤ったのかというと、これはネタバレになってしまいますが、犯人はアリバイを作るためにある乗り物を使っていたわけですが、刑事はまずその可能性から考えるはずです。現代はこれを時代のせいだと思う人もいますが、そんなことは全くない。『点と線』の単行本が出た昭和33年でもすぐ思い当たります。

有栖川 そう、真っ先にその可能性を考えるはずなのに、全く気づかない。戦前の小説にも作例があるのに。

北村 でも、私がもっと納得いかなかったのは、あの有名な〈空白の4分間〉なんです。佐山とお時の遺体が発見される1週間前、二人は東京駅で、特急列車《あさかぜ》に乗っているところを目撃されている。事件を追う三原警部補は、目撃者たちが立っていた13番線のホームから15番線に入っていた《あさかぜ》が見えるのは、13番線と14番線に列車が入っていない4分間だけであることに気づいて……というのが〈空白の4分間〉と呼ばれる。これはアリバイ工作ではない。

 それなのに、〈4分間のアリバイ〉などとおかしなことをいう人がいる。〈4分間の目撃〉であって、そこにミステリアスな奇妙な味の興奮があります。しかし犯人側に、そんな命取りになるような不自然なことをする必然性が全くないのです。トリックですらない。目撃させたいならもっと自然にやればいい。今となれば清張先生側に立って、それに対する反論もできますが、当時最も気になったのは、これは登場人物がやりたいのではない。この〈目撃〉をさせたいのは作者だということです。そこで物語として破綻している。

有栖川 これも同感です。〈空白の4分間〉は、編集部から提供された豆知識を強引に使っています。

北村 犯人側には〈空白の4分間〉といった特別なことをしている意識はなかった。たまたまそうであったために捜査側から作為を疑われてしまうという運命の皮肉、偶然の審判といったところが前面に出ていればよかったと思います。そういう書き方ではない。〈4分間〉をめぐる犯人側と捜査側の謎解きの攻防があるかのようにとらえている世間が許せなくて、それから何年か清張作品を手に取ることができず、素晴らしさを理解するまでに時間がかかってしまいました。