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連載オカンといっしょ

オカンといっしょ #16 Dark Pink(前篇)「いなくなったもうひとりの僕」

ツチヤタカユキの連載小説

genre : エンタメ, 読書

「人間関係不得意」で、さみしさも、情熱も、性欲も、すべてを笑いにぶつけて生きてきた伝説のハガキ職人ツチヤタカユキ。これは彼の初めての小説である。

 彼は、父の顔を知らない。気がついたら、オカンとふたり。とんでもなく美人で、すぐ新作(新しい男)を連れてくる、オカン。「別に、二人のままで、ええやんけ!」切なさを振り切るように、子どもの頃からひたすら「笑い」を摂取し、ネタにして、投稿してきた人生。いまなお抜けられない暗路を行くツチヤタカユキの、赤裸々な記録。

◆ ◆ ◆

「ニルヴァーナの曲、1曲だけ聴いてええ?」

 ワンルームの部屋に2人で暮らしていると、音楽を聴く時にもこんな風に許可を取らなければならない。

 オカンは渋々、了承した。

「はよして。見たいテレビあんねん」

 僕はCDコンポの再生ボタンを押す。爆音で、ニルヴァーナの3枚目のアルバムがかかる。そのミュージックが鳴っている間、オカンはずっと迷惑そうな顔をしてる。

 

「ファッション業界はな、毎年、4人くらいの偉い奴らが集まってな、その年の流行の色とかアイテムを決めるねん」

 ピンクは常にオシッコを我慢してるみたいにそわそわしている。

「ほんでそいつらが、決めたもんをただ流行らしとるだけや。だから、流行ってるファッションなんかオシャレでもなんでもあらへん」

 バーの店内に充満しているのは、掃除機の後ろから出てくる温風のような空気と、ノンアルコールビールみたいな、どこか締まらない雰囲気。店内を見回すと、皆が眠りに落ちる寸前のような表情をしている。

「それを着せられているこいつらは、全員アホにしか見えへんわ」

 バーカウンターには、水タバコを吸引する装置が置いてある。それを見て、ピンクは笑った。

「アレ、マリファナ吸うやつやんけ! こんなに堂々と置いとってええんか?」

 刑務所から出てきたばかりの頃、ピンクがこんな風に笑う事はなかった。

「あんま寝られへんねん」

 ピンクはよくそう口にした。

「ムショにおった頃な、いつも寝てる時に看守が廊下を行ったり来たりしよって、その足音でいっつも起きてもうてん。それが今もずっと続いてるねん。寝てる時、看守が俺の枕元を、ずっと行ったり来たりしとる感じ。俺は少年刑務所やってんけど……」

「少年?」

「25歳までは少年刑務所やねん。そこでもめっちゃ地獄やってん」

 そういえば地獄って漢字、全然、じごくっぽくないなあ。

 

「だから、最近は、ホリエモンの事、スゲェって思うようになったわ。あいつは大人の刑務所やで? そこを耐え抜いたなんて尊敬するわ」

 何やねんそれ? どんなに苦しい状況になっても一回も犯罪を犯さんと死んでいく人間の方が絶対に立派やし、尊敬されるべきやろ?

「彼女とはどうなったん?」

「聞くなや。……元カノが他の男と歩いてる所とか見たら、今すぐ自殺するわ」

 ピンクは少し過呼吸のような状態になりながら、学生時代から刑務所に入る直前まで付き合っていた元カノの話をする。

 ピンクにとってその元カノは、2人目の母親みたいな感じだったんだろう。ピンクが元カノの話をする時は、捨てられた子供の絶叫のように聞こえた。

「一度終わった恋愛はもう元には戻されへんねん。せやから、2回目みたいに、1回目の恋愛が出来たらええのに」

 ピンクの眼球は充血していて、目の奥に郵便ポストが設置されているみたい。出しても届かない元カノへの手紙を、今日もそのポストに投函し続けている。

 クレーンゲームの人形が落ちる穴みたいなのが地球にも空いていて、そこからずっと落ちていってる感じ。

 しばらく呼吸するのをやめてみたら、目の前に一本の白い線が浮かび上がった。電車が通る白線の外側。その向こうには、死が待っている。

 小学校の遠足。おやつは300円までだった。300円もあれば3日間は生きられる。

「300円の価値が、ガキの頃のままの大人、初めて見たわ」

 久しぶりに会ったピンクは、サングラスをかけていた。

「ちゃんと寝れるようになったわ」

 サングラスを外したピンクの眼球は、もう赤色をしていない。

「専門学校時代の同級生がな、今、AKBの衣裳やってんねん。そいつに仕事に誘われたから、東京行くわ」

「お前がAKBの衣裳作るの?」

「せや。秋元康の下僕やで」

「良かったやん」

「お前はどうすんねん?」

「分からへん」

「また、お笑いやれや」

「いやなんかさ、自分が2人に分裂したみたいな感覚やねん。だからもう前みたいには無理やわ。どうやったらあいつ、戻ってくんねやろ?」

 あいつは、全力で僕から逃げている。捕まえようとしたら、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』みたいな、壮大な追いかけっこになる。

「はあ? 意味分からん。ちょっとトイレ行くわ」

◆ ◆ ◆

つづく(※小説「オカンといっしょ」は毎週金曜17:00に公開します)