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連載高野秀行のヘンな食べもの

高野 秀行
2018/02/06

ネパールにあった世界遺産級!の水牛グルメ居酒屋――高野秀行のヘンな食べもの

※前回「ネパールの世界遺産の真ん中で水牛の生肉を喰らう」より続く

イラスト 小幡彩貴

 ネパールの世界遺産の町で水牛の生肉を食べに行った話。食堂に入ると、正体不明の不気味な食材や料理がテーブルに並んでいて目がチカチカした。説明を受けて驚いた。この店には水牛の正肉はほとんどない。内臓とそれ以外の部位である。

 案内役の友人、ミランさんによれば、ネワール族はネパールでは例外的に、水牛を丸ごとほぼ全部食べるという。「食べないのは骨と尻尾と角だけ」とミランさん。理由の一つは、昔、カトマンズ盆地ではヤギや羊が少なくて人口も密集していたから。さらにネワール族はドゥルガー神への信仰が強い。この神様には水牛を供犠する。後で人が食べるのだが、神様にあげたものだから全部残さず食べるべきだと考えるとのこと。

 とはいえ、この店の料理は驚異的に斬新なものばかりだった。

 まず、「コチラ」。私が目的にしていた生肉だ。この店で用意している唯一の「正肉料理」でもある。水牛の肉を包丁で細かく刻む。次に生姜、ニンニク、クミン、卵を熱した油に入れ、少し熱してから肉にざざっとかけて混ぜる。最後は手で念入りに練り込む。パクチーとネギを入れたら出来上がり。

すこぶる酒に合う水牛ユッケは「コチラ」

「生の肉」というから相当えげつないものを想像していたが、意外にも洗練されて見た目でも美味しそう。口に入れると香ばしい。油をかけているから生臭さは飛んでいる。でも生の肉ならではの旨味は残っている。今朝届いたばかりの新鮮な肉は軟らかい。まるで熊本の良質な馬肉のたたきみたいだ。「水牛=固い、まずい」という私の固定観念は一気に覆された。絶品である。

 美味のもう一つの理由は油。「菜の花の油」だというが、無味無臭な日本の同名商品とは異なり、ごま油に近い、うっとりするような香り。そのせいか、韓国のユッケにも似た印象を与える。

「お酒が飲みたくなるねー」と思わず口走ったら、美人女将(名前はギタなので、ギタ姐さんと呼ぼう)とミランさんはくすっと笑った。

「何、飲みます?」と彼が訊くので耳を疑った。ふつう、アジアの食堂では昼に酒など出さない。私のためにわざわざ外から買ってきてくれるのかと思いきや、冷蔵庫の中にビールがどっさり入っていた。よく見れば、棚の上には蒸留酒とおぼしき酒の瓶がぎっしり。なんとこの店は居酒屋だった。だから昼間は閉まっている。今は仕込みの時間だった。そして、ここの料理はすべて酒の肴なのだ。気風がいい美人女将が仕切っているのも納得だ。まさか世界遺産のど真ん中に庶民向けの飲み屋があるとは。