昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

哲学者・千葉雅也が感じた「電子決済システム先進国・中国の不気味さ」

旬選ジャーナル 目利きが選ぶ一押しニュース

2018/02/11

▼〈「デジタル・レーニン主義」で中国経済が世界最先端におどり出た〉 1月10日、現代ビジネス(筆者=津上俊哉)

 僕は昨年10月から、ボストン・ケンブリッジのハーバード大学に滞在している。アメリカに長期滞在するのは初めての経験だ。到着してまずはホテルに泊まり、それからAirbnbの民泊を利用し、最終的に賃貸を見つけた。Airbnbも、Uberのような配車サービスを使うのも初めてで、いわゆるシェアリングエコノミーに僕は驚かされた。シェアのためには、相互評価が重要である。評価の点数とコメントによって見知らぬ他人の信用を判断し、すぐに取引を成立させる。このスピーディーな「信用感覚」が、僕にはひじょうに新鮮だった。

 Airbnbの家主は大変親切で、興味深い人物だった。中南米から移民してきた人で、ボストンでの人種やエスニシティ、性的マイノリティの問題について様々な情報を教えてくれた。よそ者が集まって、互いを信用する――それはもちろん移民の国アメリカだけのことではない。世界中で流動性が高まっており、よそ者の共存がますます重要になっている。人を信用するとはどういうことか? たんにシェアリングエコノミーは便利だということ以上に、僕は信用の本質を哲学的に問い直したいという気持ちになっている。

 AirbnbもUberも、レビューとクレジットカードが信用を担保している。それは、行動履歴の一部を、信用のエビデンスとして取り扱うということだ。しかし僕は思うのだが、信用とは本来曖昧なもの、偶然性を含む賭けではなかったのか。

©iStock.com

 そんなふうにスタートしたアメリカ生活のなかで、現代中国についてのこの記事を読んだ。いまの中国では、日本よりもずっとIT化が進んでいる。電子決済が普及し、しかも決済システムが、個人の信用度を行動履歴にもとづいて点数化する「芝麻信用」のような信用プラットフォームと連動している。記事によれば、その社会的意義は、知らない者同士のビジネスの発生を支援することである。ところで(この記事では言っていないが)、これはビジネスの話だけではない。誰かと何かを一緒に行うということ一般が、信用度の指標によってやりやすくなる。記事の筆者は、一方でそのような個人情報の共有化は、監視社会のディストピアを思わせもするが、必ずしも全体主義的統制が強まるとも言い切れない、という立場のようだ。むしろより自由にビジネスが展開される社会を目指すなら、個人情報保護に対する従来の保守的感覚を変えなければならないのではないか、という示唆に至るのである。

 中国が先を行くその方向の利便性は否定できないが、僕には抵抗感がある。個人情報を護りたいからというより、ここでは、信用という観念自体に変質が起きている気がするからだ。数値的なエビデンスで人を評価する。それは、人の曖昧な部分、偶然性に満ちた部分を無視することを意味する。

 秘密が失われる。それは、個人情報がどこかで利用されるというだけのことではない。人間関係を一部のエビデンスだけで支えることは、人間の「潜在的なもの」としての秘密をなしで済ませることだ。人の計り知れない部分は、もう見ない。するとそのうちに、いつか人間から、秘密をもつということ自体がなくなってしまうのかもしれない。僕にはそういう不気味な予感がある。秘密なき人間とはいったい何なのか、そして従来の、秘密をもつ人間とは何だったのか。信用とは、秘密があるだろう他人を、そうだとしても信じることだった。秘密なき人間を信じるというのは、別のことである。私たちはこれから、秘密それ自体の蒸発が何を意味するのかを、真剣に考えなければならないと思うのである。