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相澤 洋美
2018/02/13

千恵さんが娘に「みそ汁づくり」を教えた理由

──千恵さんが亡くなられたあと、絶望的になった安武さんを救ってくれたのも、「千恵さんと約束した」という、はなさん手づくりのみそ汁でした。

安武 僕は四十九日まで、千恵の遺影の前で酒を飲んでおいおい泣いてばかりで、生活も乱れていました。はなは、冗談ばっかり言って遊んでくれていたパパが急に変わったと思っていたんでしょうね。四十九日の翌朝、突然みそ汁を作ってくれたんです。忘れかけていましたが、はなは千恵が寝込み、動けなくなる前まで、ずっと朝食のみそ汁を作っていたんですよ。それを飲んで、「ごめんなさい、ちゃんとします」と、心から思いました。一番おいしいみそ汁でした。

©安武千恵

──千恵さんは、なぜ「みそ汁」にこだわったのでしょうか。

安武 千恵は、自分がいなくなった後のことを考えてみそ汁づくりを教えていました。彼女は、台所で料理を作るということは人を幸せにするということを、命をかけて教えてくれたんです。「料理は命ある素材を選び、手抜きをしない」というのが千恵の食に対する基本的な考えで、その代表格がみそ汁でした。はなが通っていた高取保育園(福岡市早良区)では、給食に自家製みそと納豆の発酵食品を取り入れていたのですが、この「命ある」みそとの出合いが、「食べることは生きること」という考え方につながったのだと思います。

──はなさんが作ったみそ汁で安武さんが元気になって、千恵さんも嬉しかったでしょうね。

安武 千恵は娘に「健康で、生きる力が身についていれば、将来どこに行っても、何をしても生きていける。食べることは生きること」と繰り返し、家事を教えていました。千恵が亡くなった後、ある日はながペンを握り、〈あさすること/かおあらう/おいのり/えさやり/さんぽ/てあらい/みそしるづくり/あさごはん/はみがき/ぴあの/といれ/ほいくえん/これがはなのしごと〉と、その約束事を紙に書いたんですよ。あれから10年が経ちましたが、はなはずっとみそ汁を作ってくれています。亡き妻の教えは、はなと僕の中にしっかりと根付いているんです。

©安武信吾

写真=末永裕樹/文藝春秋
#2に続きます)

やすたけ・しんご/1963年生まれ。西日本新聞社編集委員。みそ汁づくりを通じて子どもに生きる力を教えるがん患者の妻、娘との生活を描いたエッセイが話題となる。2015年9月から2017年3月まで、西日本新聞でコラム「はなパパの食べることは生きること」を連載。通常業務のかたわら、食・子育て・いのちを考える講演会活動なども行っている。講演会の依頼はこちらから。

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