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連載オカンといっしょ

オカンといっしょ #16 Dark Pink(後篇)「夜空に浮かぶ、真っ黒な月」

ツチヤタカユキの連載小説

genre : エンタメ, 読書

「人間関係不得意」で、さみしさも、情熱も、性欲も、すべてを笑いにぶつけて生きてきた伝説のハガキ職人ツチヤタカユキ。これは彼の初めての小説である。

 彼は、父の顔を知らない。気がついたら、オカンとふたり。とんでもなく美人で、すぐ新作(新しい男)を連れてくる、オカン。「別に、二人のままで、ええやんけ!」切なさを振り切るように、子どもの頃からひたすら「笑い」を摂取し、ネタにして、投稿してきた人生。いまなお抜けられない暗路を行くツチヤタカユキの、赤裸々な記録。

◆ ◆ ◆

 ピンクが席を立つ。僕はカウンターから、ペーパーナプキンを抜き取る。

「何、書いてるの?」

 誰かが話しかけて来た。女の声だった。

「ネタ」

「ネタって?」

「お笑いの」

「お笑いやってるん?」

 ずっと口の中で、溶けないアメを舐めているみたいな喋り方だった。

「いや、もうやめたんやけど、たまにまだネタが頭に浮かぶ時があるねん。それをこんな風に紙に吐き出して捨てとる」

「何それ? どういう状態?」

 浮かんだネタは、ピンボールマシーンのように頭の中で衝突し続けて、鋭角になっていく。

 脳のどこかにネタがぶつかるたびに電子音が鳴り響き、女の声はかき消された。

「そうや! いいものあげる」

 僕はその時、初めて顔を上げた。ハートの絵文字とかをいっぱい使いそうな女の顔が見えた。こっそりと僕の手に、白い錠剤を渡して来た。

「これ、何?」

「ただのフリスク」

 どう見てもそれはフリスクではない。

「警察には言わないで」

 カーナビみたいな無機質な声でそう言い残すと、女は店の奥に消えた。

「女と喋っとったな」

 ピンクはトイレから戻るや否やそう言った。

「見とったんかい」

「女となんか喋ってもおもんないやろ? あいつらなんか穴空いとるだけや」

 穴? そう言えば、うまい棒って何で真ん中に穴が空いてんねやろ? コスト削減かな? バブルの頃は埋まっとったんかな?

「これ貰ったわ」

 僕は、白い錠剤をピンクに見せた。

「飲んでみよかな?」

「やめとけ」

 ピンクは、真顔で僕から錠剤を奪った。

「お前はこっちには入るな」

 そう言うと、ピンクはその錠剤を酒で流し込んだ。

「お前が飲むんかい」

 店を出るとピンクは突然痙攣しだして、大量のゲロを道にぶちまけた。それを見て、僕も吐きそうになった。

 人間の体内には常にこの嘔吐物があるのかと思うと、どんなに美しい外見の人間も滑稽な存在にしか見えない。水の中で爆発する爆弾のように、ピンクの体内であの錠剤が爆発したみたいや。

「彼女に迎えに来てもらうわ」

 ピンクの新しい彼女は、風俗嬢をやってるらしい。風俗嬢と聞くと、マリリン・モンローみたいな女が頭に浮かぶ。

 でも実際にそこに現れたのは、牛乳のように肌が白い、杏仁豆腐みたいな女の子だった。その頃にはもう、ピンクは意識を失っていた。さっきの錠剤の件は、言わない方がいいかも知れない。

「すみません。こいつが飲みすぎちゃったみたいで」

 その子にピンクを引き渡す。なんでこの子は風俗嬢になったんやろ? 子供の頃の夢は、何やったんやろ? そんな考えなくてもいいような事ばかり考えて、死にたいくらいに切ない気分になった。

 例えばガキの頃、二段ベッドで眠る時には、上の段の方が宇宙に近いからワクワクした。大人になった僕らはまるで消しゴムの消しカスみたいだ。消していってるのは、子供の頃に思い描いていた夢。

 意識を失ったピンクから漂っていたのは、こたつの中で丸まる猫のような幸福感。

 マークシートを鉛筆で塗り潰したみたいな真っ暗な夜。今夜も自分の影を引きずって歩く。この影も、ホッチキスで止めてるみたいに、簡単に取れてどっかに行ってしまいそう。居なくなったもう一人の僕みたいに。