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陸自ヘリ墜落事故で考える、現代戦に求められる戦闘ヘリの条件

このままでは自衛隊から戦闘ヘリが消滅する

2018/02/14

 今月5日に発生した陸上自衛隊のAH-64D戦闘ヘリコプター(通称アパッチ・ロングボウ)の民家への墜落では、不幸中の幸いにも民間人の死者は出ていないが民家は全焼。搭乗していた自衛官2名の死亡が確認される痛ましい事故となった。

陸上自衛隊のAH-64D戦闘ヘリが墜落した現場(佐賀県神埼市)。周囲には民家が点在している ©時事通信社

 事故のあった佐賀では佐賀空港への陸自オスプレイ配備の計画があるだけに、事故原因の究明と再発防止策の確立、被害に遭われた方や地元への誠意ある謝罪・補償とケア、そして説明は必須である。場合によっては、計画の変更といった事態になるかもしれない。

 ところで、この墜落したAH-64D。実はかねてより、今回の事故とは別に、その存在意義に関わる問題を抱えていた。本稿では、その問題について紹介したい。

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予定62機が13機で調達打ち切り

 AH-64D戦闘ヘリの調達が決定したのは2001年の8月。1979年に調達が始まってから20年以上が経過し、退役が始まっていたAH-1S対戦車ヘリコプター92機の後継として、62機が調達されることになっていた。2006年3月には日本でライセンス生産を行う富士重工から初号機が納入されたが、調達ペースは遅々としたもので、2008年には調達の打ち切りが事実上決定している。

 この調達打ち切りにより、ライセンス生産のための設備投資を行っていた富士重工が国を相手取って訴えを起こし、2015年に国が富士重工に351億円を支払う判決が確定している。

陸上自衛隊のAH-64D(陸自Googleフォトより)

 配備からわずか2年ほどでのスピード打ち切りだったが、この理由としてはメーカーのボーイング社での自社生産が終了したため、富士重工で生産する部品のための追加投資が必要となり、価格高騰が見込まれたためと報じられている。だが、実機を試験した陸自側で、価格に見合う価値がないと判断したことも、打ち切りを後押ししたと噂されている。特にAH-64Dのウリの一つだったネットワーク機能の面で、陸上自衛隊側のシステムとの適合性が問題視されたという。

 この打ち切りの結果は、次の写真によく現れている。これは2010年に自衛隊の霞ヶ浦駐屯地で筆者が撮影した写真だが、格納庫内でズラリと並ぶのは耐用年数を経過して解体を待つAH-1Sだ。

解体を待つAH-1S(筆者撮影)

 ここで解体を待っていたAH-1Sの数はAH-64Dの調達ペースより明らかに多く、そのことを「戦闘ヘリの事実上の純減ではないか」と隊員に尋ねると、「ええ! 純減です」と妙に明るい半ばヤケクソのような返事を貰ったのを覚えている。後継のはずだったAH-64Dの調達打ち切りにより、戦闘ヘリの総数は減る一方で、かつては90機5個飛行隊あった対戦車ヘリ隊(AH-64Dは戦闘ヘリと呼称し、AH-1Sは対戦車ヘリと呼称していた)も、それまでの規模の維持はできない。そして、AH-64Dの代わりをどうするかも、10年近く決まっていない。

 この事態は日本における戦闘ヘリという戦闘職種の危機ではあるが、戦闘ヘリという存在自体が、現代の戦場で存在意義を問われていて、AH-1S後継が10年宙に浮いている問題を難しくしているのではないかと考えられる。