文春オンライン

小島秀夫が観た『シェイプ・オブ・ウォーター』

映画に愛された“シェイプ・オブ・クリエイター”の物語

2018/02/25

genre : エンタメ, 映画

note

アート(作家性)とエンタメ(商売)は分離するしかないのか?

 この連載で何度も触れたように、マーベルや『スター・ウォーズ』などの“ユニバース”ものの戦力として、何人もの監督が起用され、多くは本来の持ち味である作家性を発揮することもなく、「仕切り屋」として能力を消費されていく。

 まるで、南米という“夜の世界”から、“昼の世界”に連れてこられた半魚人のようだ。

 独創的な夢(作品)を見ていた夜の住人である彼らは、その夢見る才能を買われたはずなのに(ちなみに、『シェイプ・オブ・ウォーター』の半魚人は、南米では神として崇拝されていた)、ハリウッドの昼の理論によって、才能を潰されてしまうこともあるのだ。

ADVERTISEMENT

(C)2017 Twentieth Century Fox

 世界には昼と夜しかないのか?

 アート(作家性)とエンタメ(商売)、メジャーとインディーズしかないのか?
デル・トロは、そして彼と同じ資質を持つ一握りのクリエイターたちは、昼と夜の世界を、メジャーとインディーズの世界を、苦汁をなめつつ歩んできた。彼のフィルモグラフィーを見れば、その歩みが決して平坦ではなかったことがわかるだろう。

宮崎駿のいないスタジオジブリは“ジブリ”なのだろうか?

 キャメロンに見出された『クロノス』(監督・脚本・メキシコ映画)から、初のアメリカ資本作品の『ミミック』(監督・脚本・アメリカ映画)や、『デビルズ・バックボーン』(監督・脚本・製作・スペイン映画)と、キャリアと評価を積み上げた後、『ブレイド2』でハリウッドのメジャー作品の監督として起用される。

『ヘルボーイ』を経て、製作、監督、脚本を手がけたメキシコ・スペイン・アメリカ合作映画として『パンズ・ラビリンス』をものにする。数年を経て、レジェンダリー・ピクチャーズ製作による『パシフィック・リム』の製作・監督・脚本を手がけ、世に放った。インディーズとメジャーを行き来しながらも、自らの作家性、クリエイティビティを放棄することなく、作品を作り続けてきた。

ギレルモ・デル・トロとジェームズ・キャメロン(右) ©getty

 この間には、ラブクラフトの『狂気の山脈にて』の企画中止や『ホビットの冒険』『パシフィック・リム2』での監督降板、私と組んだゲーム『P.T.』中止など数々の手痛い挫折もある。しかしそれを乗り越えてきたからこその『シェイプ・オブ・ウォーター』の成功なのだ。

 確かに、現在のハリウッドは、作家性を貫くには厳しい環境だろう。しかし、NetflixやHulu、Amazonビデオなどの台頭、スマートフォンやタブレットなどによる視聴環境の変化により、作品をユーザーに届ける手段が激変している。映像に限らず、ゲームもクリエイターがユーザーに直接届けることが可能になっているのだ。
それは一つの希望であり光明であるが、全てのクリエイターや作品の救世主にはならないだろう。それはあくまで環境であり、道具の一つでしかないからだ。ハリウッド・メジャーだろうがインディーズだろうが、創作の奇跡はクリエイターにしか宿らない。

 キャメロンが作らない『ターミネーター』は“ターミネーター”だったろうか? 宮崎駿のいないスタジオジブリは“ジブリ”なのだろうか? 

 昼間の理論で動いているシステムだけでは、本当の意味での“作品”はできない。そして、夜の理論だけでものづくりをするクリエイターには、最後まで光は当たらない。