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齋藤 孝
2016/04/19

近代日本語が生まれたドラマ

『日本語を作った男 上田万年とその時代』 (山口謠司 著)

source : 週刊文春 2016年4月14日号

genre : エンタメ, 読書

 私たちは今話すように自然に日本語を書いている。SNSでおしゃべりやつぶやきを文字にしている。これは当り前のことか。「そうではない」とこの本は教えてくれる。

 明治時代になってもなお書き言葉の主流は文語体であり、手紙は候文であった。各地の方言は強烈で、「共通の日本語」は成立していなかった。「すべての国民のための言語」=国語が何としても必要だ、と国語学者・上田万年は考えた。

 言文一致運動での二葉亭四迷や山田美妙の功績は周知のことだが、上田万年の名はあまり知られていない。この本は、万年の人生をタテ糸に、近代日本語成立のプロセスを丹念に見ていく。四迷、漱石、円朝らがヨコ糸となり、国語としての近代日本語という織物が鮮かに立ち現れてくる。

 明治四十一年の臨時仮名遣(かなづかい)調査委員会で、森鴎外は歴史的な仮名遣いの維持を主張する。話す通りの音で表記しようとする「新仮名遣い」を主張する万年らと対立する。

 鴎外の『舞姫』は「石炭をば早や積み果てつ」で始まり、文語体の名文が続く。一方、漱石の文体は「吾輩は猫である。名前はまだ無い」と話すように書かれる。仮名遣いはまだ旧仮名でも、文体自体は現代と変わらない。漱石の日本語の文体が主流となり、現在の私たちの文体となっている。その『吾輩ハ猫デアル』の文章は万年なしには生まれなかった。万年がベルリン大学で学んだ比較言語学が新しい日本語に影響を与え、昭和二十一年の「現代かなづかい」の告示へとつながったのだ。

 言語が国をつくる。万年のこの信念が近代日本語の推進力となった。今、日本語は柔軟であり、かつ世界のあらゆる知を消化できる消化力を備えている。日本語がこの地上から消えることがあれば、本来の意味での日本人もまたこの地上から消えるだろう。私たちは日本語を通して感性を養い、思考力を培っている。言語は人をつくるのである。

やまぐちようじ/1963年長崎県生まれ。大東文化大学准教授。大東文化大学文学部卒業後、ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。『ん 日本語最後の謎に挑む』『となりの漱石』など著書多数。

さいとうたかし/1960年静岡県生まれ。教育学者、明治大学文学部教授。『考え方の教室』『大人のための書く全技術』など著書多数。

日本語を作った男 上田万年とその時代

山口 謠司(著)

集英社インターナショナル
2016年2月26日 発売

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