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清宮幸太郎を育てるというファイターズの「球史に対する責任」

文春野球コラム オープン戦2018

 ファイターズの春季キャンプもいよいよ最終クール初日を迎えていた。キャンプ前半はアリゾナ組の1軍、国頭(くにがみ)組の2軍に分かれていたが、17日からは合流して、定位置や1軍枠をかけた生存競争が始まっている。今年は「チームの再構築」が主題になる年で、キャンプから興趣が尽きない。昨シーズンの松本剛のようにいきなり飛び出してくる選手がいないかワクワクしている。

 が、この日は朝から皆、空を見上げていた。名護市は曇天だ。小雨がパラついている。勝手知ったる名護の天候でいうと北風の日は雨降りだ。そこから更にヤンバル(山原)に奥まっていく国頭村はどうだろう。たぶん球団関係者、報道陣、そしてファンの全員が「何とかもってくれ〜」と天に祈った。清宮幸太郎のプロ入り初のフリー打撃が予定されていたのだ。

プロ入り初のフリー打撃を前に注目を集めていた清宮 ©えのきどいちろう

「守備の人」になっていた清宮

「ファイターズ清宮」のバッティングはずっとヴェールに包まれていた。僕は取材パスをもらって1月の新人合同自主トレを見に行って、室内練習場のトスバッティングを目撃した。ポカンと見入ったものだ。ものすごいインパクトだった。下がどっしり安定していて、バットがトップからギューンと出てくる。(今もそうだが)1月だからまだ卒業式前なんだよなぁと思った。スイングスピードがハンパない。惚れ惚れした。こんな素材がモノにならないわけがない。

 が、直後、右手親指つけ根に違和感が生じ、別メニュー調整となった。医師の診断は「母指基節骨の骨挫傷」。安静にすればいいということで、つまり、黄金ルーキーは自主トレ入ってすぐの時期からキャンプ終盤まで、打撃練習なしで過ごした。これはもう取材クルーや番記者の皆さんは大弱りだったろう。「清宮サク越え○発!」で1面トップを飾れるネタがずっとおあずけだ。

 チームとしても黄金ルーキーを慎重に扱うしかない。清宮は「守備の人」になった。アリゾナでは金子誠コーチがスローイングの矯正をする等、つきっきりの指導である。日本に戻っての練習試合では打席がまわって来ないイニングだけ一塁守備に入った。笑ったのは紅白戦だ。特別ルールで「打撃・中田翔、守備・清宮幸太郎」の分業一塁手(?)が成立した。

 この分業一塁手は将来、「清宮トリビア」で出題されるんじゃないだろうか。練習してないから打たせるわけにもいかないのだが、ちょっと無理矢理にさえ思える起用だ。わざわざ飛行機代出して北海道から見に行ったファンは「ええええ〜?」って感じもあったと思う。但し、理には適っている。中田翔は右肩の炎症で守備は回避したい。清宮はプロの打球の速さに慣れさせ、試合勘をつくりたい。それでスター選手2人の分業一塁手が考案された。こういうのは「三位一体」に対し「二位一体」とでも言うのか。→言わない。

 そうやって待ちに待ち、待たされに待たされたフリー打撃解禁のXデーだった。これまでのように室内ではなく、沖縄の空の下だ。一般のファンだってスタンドから見学できる。そりゃ天に祈りますよ。誰よりも本人がバッティングに恋い焦がれている。