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続・なぜ「デビルマン」の映像化は失敗続きなのか?

サブカルスナイパー・小石輝の「サバイバルのための教養」

2018/03/02
note

「きさまらは人間のからだをもちながら悪魔に! 悪魔になったんだぞ!」

「原作漫画のデーモンとは言うまでもなく、『人間の心に潜む闇や獣』の象徴に他ならない。だから、不動明のように『自らの意志でデーモンと合体すること』とは、自分自身の中の闇や獣を自覚し、直視し、それに対する不断の戦いを続けることを意味するんや。そして、不動明はまさに、デビルマンとして自らの悪魔性を自覚し続けていたがゆえに、世の中全体が狂気に満たされていく中でも、人間の心を失わなかった。

 逆に、作中の普通の人間たちは、自らの内なる獣性、悪魔性に対して無自覚であったために、デーモンに不安、恐怖、猜疑心の種を植え付けられると、それに対する抵抗力がないから、たちまち人間の皮を脱ぎ捨ててしまった。不動明が絶叫したように『おれはからだは悪魔になった…だが人間の心をうしなわなかった! きさまらは人間のからだをもちながら悪魔に! 悪魔になったんだぞ!』というわけや。

漫画版「デビルマン」は、週刊少年マガジンでの連載当初は目立った反響はなかったが、人類が破滅に向かっていく終盤、急激に人気が上昇した。画像は、連載完結を間近に控えた1973年6月10日号より

 現実の歴史を見ても、『自分は絶対正しい』とか『自分は正義の側にいる』とか思い込んでいて、自分の中の闇や悪を自覚していない連中が、一番残酷で非人間的なことをやる。そして『正義』が最も声高に叫ばれるのが、戦争の局面や。『正義』とは、自らの内なる悪と対峙する心を眠らせる呪文かもしれんなあ」

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「子どもたちが作中のヒーロー・不動明に憧れること。それ自体が『自らの内なる悪魔と対峙する心』を自然に育む、ということですか」

「まさにその通り。このことは今回、国会図書館にこもって当時の連載を読み返していて、初めて言語化できたんや。物語の中の一番大切なメッセージは作中に明示されず、作者自身も気づかないほどの奥底に、ひっそりと暗号のように記されている。だからこそ、読み手の潜在意識に深く刻み込まれ、後々にまで影響を与え続けるんや。真の傑作とは、そういうものやないやろうか」

続・なぜ「デビルマン」の映像化は失敗続きなのか?

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