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楠木建の読書遍歴と「芸論」への偏愛

楠木建の「好き」と「嫌い」 好き:芸論 嫌い:科学ノンフィクション

2018/03/06

カラダかアタマか

 あくまでも個人的な好き嫌いの話として聞いていただきたい。

 スポーツが好きな人は「じっとしているとイライラする。あー、体を動かしたい!」というようなことを言う。僕は運動が嫌いなので、その辺の爽快感がよく分からない。

 ただ、そういう気分は類推できなくもない。僕は頭を動かしていないとイライラする。頭を動かしたいという欲求が湧き上がってくる。で、頭を動かすとスカッとする。

 ようするに理屈っぽいだけなのだが、こうした性分は理屈ではなく気分というか生理の問題だ。自分の頭に引っかかることについて、「これはようするにどういうことなのかな」と考えずにいられない。論理で本質がつかめないとどうも落ち着かない。「ようするにこういうことか」と、自分なりに得心するとスカッとする。モヤモヤが解けて腑に落ちる。いったん腑に落ちると、俄然そのことについて考えるのが面白くなる。さらに思考が触発される。

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 僕にとって、この生理的欲求に正面から応えてくれるのが読書なのである。ということで、前回前々回に引き続き、読書の話をする。

はじめは普通に小説から

 子供のころ、夏を過ごす家が軽井沢にあった。隣が北杜夫さんの別荘だった。北さんのお嬢さんが由香ちゃんという僕の少し上のお姉さん(現在はエッセイストの斎藤由香さん)で、ときどき遊んでもらっていた。で、お父さまが小説家だということを知り、『どくとるマンボウ小辞典』を読んでみた。これが自分で買った初めてのハードカバーの本だった。北さんにサインしていただいた。次に読んだのが名作『船乗りクプクプの冒険』。これは文庫で読んだ。

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 当時の中学生に人気があったのが筒井康隆。例に漏れず僕も好きだった。『バブリング創世記』を本屋で立ち読みして、その言葉遊びのあまりの面白さにゲラゲラ笑っていたら、本屋さんに叱られた。40年も前の話だが、いまだにありありと思い出す。

 中学、高校時代はそんな感じで、読むのはほとんどが日本の小説だった。夏目漱石とか、芥川龍之介とか、三島由紀夫とか、太宰治とか、石原慎太郎(前回も話したけれど、この人のエンターテイメント小説は滅法面白い)とか、ようするに普通の中高生(当時)の読書傾向だった。

 とくに好きだったのが武者小路実篤の一連の作品だ。筋はもちろん、文章、とくに話し言葉が綺麗で、読んではうっとりしていた。話はとんでもなく単純、というかある意味で狂気の世界なのだが、当時の僕にとってはちょうどよかった。大人になってから、高橋源一郎が『文学なんかこわくない』の中で武者小路実篤について本質的な評論をしているのを読んだ。抱腹絶倒の名文で、実篤ファンとしてはホントに面白かった。