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40年前に拉致事件をスクープした産経新聞記者の先見性と苦悩

旬選ジャーナル 目利きが選ぶ一押しニュース

2018/03/15

▼〈私の拉致取材 40年目の検証〉1月7日から連載、産経新聞(筆者=阿部雅美)

「日本海の方で変なことが起きている」きっかけは、夜回り先の公安関係者がつぶやいた一言だった――。

 日本における拉致報道の嚆矢といえば、「アベック3組ナゾの蒸発」の大見出しで北朝鮮の関与を示唆した1980年1月7日付け産経新聞のトップ記事が有名である。だがこの大スクープは当時完全に黙殺され、他社の後追いもなかった。記事が注目を浴び、新聞協会賞を受賞するのは実に17年後である。

「私の拉致取材 40年目の検証」は、記事を書いた元産経新聞記者の阿部雅美氏が、79年当時、前例のない取材に飛び込んだいきさつと、以後の拉致報道の問題点、内幕を綴ったものである。一見、誰もが見過す出来事に着目し、足で稼いで前代未聞の国家犯罪の端緒をつかんでゆく過程は調査報道の王道であり、推理小説を読むようにスリリングだ。

 冒頭の公安関係者の一言が気になった阿部氏は地方紙を片っ端から漁る。すると、78年8月の北日本新聞の5段記事に目が留まった。高岡の海岸で若い男女が4人組の男たちに連れ去られそうになった。男たちは、2人にさるぐつわのようなものをかぶせ、袋に押し込んで身動きできないようにしたが、そのまま逃亡した。不可解な事件である。

行方不明の家族の写真を手に真相究明を訴える被害者家族連絡会の人たち(1997年) ©共同通信社

 阿部氏はすぐに富山に飛び、県警や襲われた男女の親族に話を聞いた。すると、ゴム製のさるぐつわ、袋などの遺留品が、「工業のひどく遅れた国で作られた粗悪品」であること、男たちの奇妙な風体、言葉などから、ある国の組織的犯行を疑った。地元では、北朝鮮の工作船らしい不審船の目撃情報が20年も前からあり、北の工作員の発したものと思われる怪電波が日本海を飛び交っていた。さらに調べると、同じ78年に、福井、鹿児島、新潟でやはりアベックが、未遂でなく実際に海岸から消えていることがわかった。阿部氏は3組の親族に取材し、北朝鮮による拉致以外の可能性をひとつひとつつぶしていった。そして80年1月7日の記事となるのだが、「北朝鮮」の文字は出さず、「外国情報機関が関与?」とした。しかし読み進めれば、北朝鮮を指していることは明らかである。

 だが、記事の反応は散々だった。「誤報」「虚報」「飛ばし記事」とまで言われ、阿部氏は四面楚歌となる。警察庁も4つの事件の関連性を否定した。

 連載の筆致はこのあたりから、苦渋に満ちたものになってゆく。彼が書きたかったのは自分の手柄話ではない。

 時代が下り、87年にいわゆる「李恩恵」問題が起きても、政府は動かず世論は盛り上がらず、被害者を救出しようという機運が生まれなかった。それを悔やむのだ。なによりマスコミの腰が引けていた。

 88年には、「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」という、梶山静六国家公安委員長の驚くべき国会答弁があった。政府がついに北朝鮮の拉致疑惑を認めたのである。ところが、産経、日経が数十行の記事にしただけで、朝日、読売、毎日、さらにテレビも一切報じなかった。今でいう「報道しない自由」というわけか。

 なぜ報じなかったのか、阿部氏は「真相はわからない」と書くが、およそ見当はつく。北朝鮮を刺激したくなかったのと、国内の親北勢力、つまり、当時大きな力を持っていた朝鮮総連や社会党の反応を恐れたためだろう。

 こうして北の国家犯罪の犠牲者を救出するチャンスは何度も失われ、拉致被害者5名が故国に帰還したのは、阿部氏の記事の掲載から実に22年後だった。

拉致被害者の帰国(2002年) ©文藝春秋

 私はこの連載から、改めて取材のイロハを学ぶと同時に、北朝鮮問題とは日本の問題であるという思いを強くした。