昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

小沢一郎夫人は津波で逝った妻に毎年花を届けてくれた

 死者1万6000人、行方不明者2550人という未曾有の被害を出した東日本大震災から7年が経つ。

黄川田徹氏 ©共同通信社

「多くの方が家族や友人を亡くしている中で、国会議員の職にある私が自分自身の家族への思いを口にしてしまうことには、抵抗感がありました。しかし、昨年、議員を引退し、一区切りをつけたこともありますので、今日は妻のことをお話しようと思います。」

 と、重い口を開いたのは、前衆議院議員の黄川田徹氏(64)だ。黄川田氏の自宅と事務所のあった岩手県陸前高田市は、震災後の津波によって壊滅的な被害を受け、黄川田氏は、妻・敬子さん、両親、長男、秘書を失くした。

 黄川田氏は、早稲田大学を卒業後、帰郷し、陸前高田市の職員となった。そこで元市議会議長の人望を得て、「孫と結婚しろ」と言われた。その孫が敬子さんだった。元議長は、岩手を地盤とする小沢一郎氏の後援会会長だった。そして、小沢一郎氏に導かれて、黄川田氏は、政治の世界に入る。1995年、岩手県議選に小沢氏の設立した自由党(当時)から出馬して初当選。2000年には同党から衆議院議員選挙に出馬し、6期連続当選を果たした。

「私にとって、妻は“銃後の守り”を任せる人でした。県議選2回、衆選6回で一度も落選しなかったのは間違いなく妻のおかげです」

震災から半年後の9月11日、陸前高田市で行われた震災犠牲者供養の法要 ©共同通信社

 と敬子さんとの二人三脚で歩んだ日々を振り返る黄川田氏。敬子さんに“銃後の守り”の方法を教えてくれたのが小沢一郎氏の夫人・和子さんだったという。

 震災後、小沢氏は民主党(当時)を離党し、日本未来の党などを立ち上げたが、黄川田氏は民主党(その後、民進党)に残り、袂を分かった。しかし、和子さんは違った、と黄川田氏は明かす。

「(震災後は、毎年3月になると)議員会館には和子さんのお名前でお花が届けられ、その度に、妻との選挙のことを思い出しました」

 黄川田氏のインタビューを含む、13人の著名人が伴侶への思いを綴った特集「亡き妻へ 亡き夫へ」は、『文藝春秋』4月号に掲載されている。

文藝春秋 2018年 04 月号 [雑誌]

文藝春秋
2018年3月9日 発売

購入する